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幼少期と兄の思い出。

思考を書き出すつもりが、えんえんと自分の事を書いている。これはこれでまた良い。

僕自身の昔を振り返ってみよう。

幼少期の記憶はほとんどない。みんなどれくらい覚えているんだろうか?うちの家族は両親と兄の4人家族だった。だが、兄貴と遊んだ記憶はほとんどない。ほとんどというより、皆無だな。

兄とは3歳差だが、僕の記憶で何歳ごろだろうか?僕は両親と同じ布団で寝ていたのだが、すでにその部屋に兄は居なかった。おそらく兄は小学校に上がっていたのだろう。すでに自分の部屋があてがわれていたのだ。

昭和50年代前半。比較的田舎だったうちのあたりでは、5歳で保育園、6歳で幼稚園に通って、小学校に上がるのが当たり前で一般的で、共働きの家庭の子どもだけが、2年保育と行って4歳から保育園に行くというのがあった。

このシステムを僕は大人になるまで、全国共通で同じだと思っていた。なので僕には年少、年中、年長の概念が無いのだ。

ところが子どもが保育園に行くようになって、年少さんとか、年長さんと言われてものすごくとまどった。

僕が4歳の時、裏の家の同い年の女の子が保育園に行き始めた。2年保育である。それを聞いた僕は、自分も保育園に行きたいと親に駄々をこねた。

そして4歳の途中から保育園に行く事になったが、保育園に行った初日のお昼寝の時間に「お母さん」と言って大泣きして、結局その日は母親に迎えに来てもらった。これが僕が覚えている一番古い記憶だろうか。

その後の保育園の記憶はほとんど無い。ただ、田舎の特性でその時の保育園の同級生は同時に全員が同じ幼稚園、同じ小学校に上がるので、その時一緒のクラスだった何人かの同級生は覚えている。

よくよく考えると僕が4歳だと、すでに兄は7歳で小学校に上がっていることになる。それも兄の事を覚えていない理由の一つだろう。家族旅行も無かったし、普段から家族でどこかに出かけたという記憶が一切無い。

せいぜい、母親の里帰りで鳥取のばあちゃんちに行く事があの頃唯一の旅行じみた事だったが、それも盆と正月くらいの事だった。

小学校に上がると、さすがに兄貴と一緒に登校するようになる。その記憶は少しだけあるが、それも3年生までである。僕が4年生になると兄は中学に上がったのり、僕が中学に入ると兄は高校、高校に上がると大学と全く接点が無かった。

この僕の記憶と経験が、今うちの子たちが年が近くて仲が良い事に対して、間違っていないという自信と確信の裏付けである。

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