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「津軽」を旅する〜⑤弘前・黒石

コモヒというのは、むかし銀座で午後の日差しが強くなれば、各商店がこぞって店先に日よけの天幕を張ったろう、そうして、読者諸君は、その天幕の下を涼しそうな顔をして歩いたろう、そうして、これはまるで即席の長い廊下みたいだと思ったろう、つまり、あの長い廊下を、天幕なんかでなく、家々の軒を一間ほど前に延長させて頑丈に永久的に作ってあるのが、北国のコモヒだと思えば、たいして間違いは無い。しかもこれは、日ざしをよけるために作ったのではない。そんな、しゃれたものではない。冬、雪が深く積った時に、家と家との連絡に便利なように、各々の軒をくっつけ、長い廊下を作って置くのである。

『津軽』,太宰治,昭和19年,小山書店

旅行最終日のこの日も、あまり細かく予定をたてず、のんびり散策することにした。とりあえず、太宰ゆかりの地を目指そうと、旧制弘前高校時代に住んだ家に向かった。

バスターミナルで路線図を確認していたら、「どこに向かいますか?」と声をかけてくれたおじさんがいた。同じバスに乗ることがわかり、少しだけ話をした。

リタイアしたばかりの60代半ばくらいだろうか。東京から来て、お城が好きで、1人で各地を巡っている途中ということだった。旅行者というのを意外に思ったが、以前、仕事の関係か何かで、弘前に住んでいたことがあるらしい。私が前日、洋館巡りをして楽しかったこと、大鰐温泉に泊まったことなど話したら、あちこちのことをよくご存知だった。でも「もう何十年も前だから、この辺りはずいぶん変わっている。」と言っていた。

私もいつか人生の後半に、過去に住んだ町を懐かしく巡るときが来るんだろうか。私の周りは、進学や就職のタイミングで地方から東京や大阪などの都市部に向かった人がほとんどだ。都会出身の人が、大人になってから転勤などで地方で生活するのは、どんな感覚なんだろうか。どんなことを気に入ったり困ったり、どんな食べ物を美味しいと思ったのか、そういう話をちょっと聞いてみたかった。

私が降りる上土手町のバス停が先に来たので挨拶すると、桜大通りを指して「この通り、この先の景色がいいんだよ」と教えてくれた。

バスを下車して10分ほど住宅地を歩くと、目的地に着いた。金木で見た生家と比べると普通の住宅に思えるが、ここも立派でよく手入れされている。

旧制高校なので、年齢は今の大学生くらいの時に住んだ家だ。部屋には当時撮られた写真も置いてある。広すぎない和室も、身近な人に感じられる。カメラ前で決めポーズしてるカンジが大学生らしくていい。

当時の文机があり、感激した。身長175㎝の人には窮屈だっただろうな‥
服は現物ではなくイメージらしいが、梁に本人が書いたらしい落書きが残っていたり、やたらリアルに感じる

大人になってから撮られた、伏し目がちだったり、気恥ずかしそうにしている写真とは雰囲気が違っている。キラキラした目で、ニヤけたり、友達と集まったり、ちょっと尖った若者らしい表情だった。

ここで案内して下さった方々も、丁寧にいろいろなエピソードを教えてくれた。知らなかった細かい情報がたくさん増えて嬉しかった。私の中の太宰の人物像が立体になっていく。帰りに、太宰が通っていた喫茶店があるから、行ってみるといいですよ、と教えてくれた。早速、真っ直ぐ喫茶店に向かう。

店内に、太宰の文庫本が何冊か並んでいた。その内、同じの2冊はカバンの中に入っている。他のも、もちろん全部我が家にある。何回も繰り返し読んだ本だ。それを確認して、とても満足した気持ちになった。そして、ここで短編を1つ読んだ。贅沢すぎる休暇だなと思った。

店内は新しかったので改装されてると思う。すごく美味しいコーヒーだった

東京への帰りまで少し時間あったから、最後は思い切って足をのばし、黒石に行ってみた。

弘前からローカル線で約35分、ゆっくり向かう。駅から10分くらい歩くと、古い街並みが残っているエリアに着いた。木造のアーケードが続く「こみせ」だ。太宰の文章には、それが訛った言葉で「こもせ」と書いて紹介されていて、本物が見たかった。

江戸時代風の建物が続く町。お蕎麦屋さんでたまに見かける屋根付きポンポンの大きなのがあった。もしかしたら、これは飾りではないのかもしれない‥
長いアーケード。木造だと温かみがある

黒石から弘前への帰りも、岩木山が見えた。形のキレイな山だと思った。林檎がなっている木もたくさん見えた。いい旅行だった。楽しかった。

帰りの新幹線はとても混雑していて、さっきまで広々した空間にいたのが嘘みたいな気がした。20代半ばくらい、パソコンを開いて忙しそうに仕事をしている女の子がいた。ジャケットとスカートに、フラットシューズとリュック。最近のビジネスマンのファッションは、私たちの時と結構違う。まぁ、もう20年も経ってるから当然だし、今の方が歩きやすそうでいいな。

太宰治は39歳を目前に亡くなったけど、私はいつの間にかその年齢を越えていた。将来の不安や悩みはなくならないけど、なぜか若い頃より気持ちがラクになった。太宰も、お酒を控えて養生し、もっと長生きすれば良かったのに、と思った。

いかにも気鋭の芸術家らしい、スキャンダラスで太く短い人生が、彼のイメージだ。でも私は、30歳までに自分の生き方を決めないといけないと!と思い込んでいる女性に似ているところがあると思う。人と違う個性や外見の美しさで目立ちたくて、もがき、恋愛を探したり、停滞が怖くて余計なことばかりしては失敗する。その後悔が自分の中でどんどん膨れ上がって、息が詰まりそうになる。

彼は、40代も50代もちゃんと生きて、いろいろなことに悩み過ぎない普通のおじさんになっていたら、あんまり面白くない本を書いたんだろうか。ファンは今より少なくなったんだろうか。それは、彼の美学の中では許せなかったんだろうか。

でも、世間に「つまらないものばかり書くようになった」と言われ、憤慨して長文の抗議文を書いたりするところを、私は見てみたかった。生家や生まれ育った田舎を見た後だと、ただ健康的にゆっくり年をとって欲しかったなと思ってしまった。私の方は、すっかりおばちゃんの感覚になってきたな‥。今回の旅は、本当にいいリフレッシュになった。

まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽したようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。

『津軽』,太宰治,昭和19年,小山書店

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