【短編 七十二候】 鴻雁北(こうがんかえる)
近頃は4月も中旬にもなると初夏の日差しが肌を刺す。
「暑いな~」
大学3年生の久保田昌弘は、いくつかある内定通知書とスマホに保存してある大量の写真を見比べながら、東京の暑さに改めて辟易していた。
写真はどれも故郷の風景を撮ったもの。カメラが趣味の昌弘は上京前や帰省する度に自分が生まれ育った町や自然を撮り溜め、気に入ったものはSNSに投稿していた。
「映える」ように撮った写真はそれなりの「いいね」数を誇るが、昌弘が本当に気に入っているのはそういった写真ではなく、地方都市で暮らす人々の日常を切り取ったような言わば【心の原風景】的な作品だ。
「久保田は結局、どうするんだっけ?地元帰るのか?」
仲間達の、この類いの質問が増えてきた。まあ、そりゃそうだ。将来の事は誰にも分からないが、それでもみんな夢や希望を抱いてそのときに出来る最良の判断をしている。
そんな中、俺はまだ決めきれずにいる。
終身雇用なんてとっくに崩壊してるし、一度就職したからといってその企業に骨をうずめるなどとは、さらさら考えちゃあいない。
だが一方で、本当に写真で生計をたてられるのか、という不安もある。
会社勤めしながら、副業として続けながらそのチャンスを覗う。そういった
やり方の方が賢明なんじゃないか。
「おお、久保田。この前の投稿、結構いいね付いてたな」
友人に言われて、投稿以来チェックしていなかった自身のSNS を見る。
いつもの3倍ほどの数の「いいね」が付いているその投稿した写真は、昌弘が懸命に「映え」を追求して撮り、投稿し続けてきた作品とは対極にあると言ってもいい、故郷の日常、原風景を切り取ったものだった。
自然が美しい地方都市やリゾート地の写真をアップしているアカウントはたくさんある。
しかし、昌弘は今回のいいねの数を見て、確信した。
季節は巡り、1年が過ぎた。
東北のある中核都市。実家の近くにアパートを借りた昌弘は、今日も早起きして撮影に出掛けていた。
田植えを直前に控えた水田は、鏡のように水をたたえていた。
畦道を進むコンバインにカメラを向けた時、役場の担当から連絡が入る。
「はい、ええ、大丈夫です。のちほど伺います。よろしくお願いいたします」
撮影を終え、実家に立寄った昌弘を両親が出迎える。
「昌弘、確か今日は役場と広告代理店と打ち合わせだったよな。その前に昼飯食っていけ」
「ああ、ありがと」
七十二候に、「鴻雁北(こうがんかえる)」なんていうのがあったが、俺はもう冬になっても南方=東京へは戻らない。ここで、この地で、生きていくんだ。
移住といなか暮らしに関する雑誌と、ポータルサイトに使用される写真をぜひお願いしますと仕事の依頼が来るきっかけとなった、里山の日常を撮った1枚の写真。
「じゃあ、行ってきます」
それを仏壇に大事そうに飾って、手を合わせる母の姿を見ながら昌弘は打ち合わせに向かった。