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【短編】ニコニコ

世界中の諜報機関が緊張感を持って活動していた。地球外から何者かが侵略してくる、というにわかには信じ難い情報に振り回されていた。
もちろん、一般市民にはその情報は全く漏れてはいない。

ある国の、その青年はいつもニコニコしていた。
嬉しいことがあった時も、辛い目にあった時も
ニコニコしていた。

多いとは言えない友人から誕生日プレゼントをもらった時も、彼の仕事場で事故が起きて同僚が大怪我を負った時も、ニコニコしていた。

「あいつは何だ」「感情のコントロールが出来ないのかな」
周りの反応は必然的にそうなる。
しかし彼はそれでいい、と思っていた。正確に言うと「それでもいい」だ。
幼い頃のある体験により、彼の感情のうち「怒」「哀」は奪われていた。
心を守る術(すべ)として、今の彼の「ニコニコ」は
出来上がったのだ。

距離を置いていた周りから、次第にイジメや嫌がらせが始まる。
どんな目に遭おうと、彼の態度は変わらない。
「君がいると、プロジェクトが進めにくいとチームメンバーから意見が来ている。今後のあり方を少し相談したいのだが」
上司とのミーティングまでの時間に、会社の地下室の書蔵庫に行って植物の本を探そう。
植物の本を読むとなぜだか心地よくなるんだ。

彼が自然に身に付けた経験則に従って、書蔵庫に向かう。
書蔵庫のドアを開け、窓も無く広いとは言えない室内に入る。
ドアを閉めたその瞬間、彼は地鳴りのような轟音とともに激しい揺れを感じ、その場に倒れ込む。

書蔵庫の棚はしっかり固定されてはいたが、いくつかは倒れて本や備蓄品が散乱した。
何が起きたのか知るすべもなく、彼はゆれが収まると探していた植物の本を手にして書蔵庫から出た。

「早く読みたいなあ」と思いながら地上階に上がった彼の前には、
跡形も無く倒壊した会社の建屋の無惨な光景が広がっていた。
ニコニコしながらも恐るおそる外へ出ると、街がさらに筆舌に尽くし難い光景となっていた。
「会社の仲間は、街の人たちはどこにいるんだろう」
しばし彷徨うが、途方に暮れた彼はその場に座り込む。
無いはずの「哀」の感情が顔を出す。涙がこぼれる。

ニュースでは世界中で中核都市が正体不明の何かに攻撃され、壊滅状態である事が昼夜問わず放送されている。
彼のいた街もその一つで、10万人をこえるその街の住民のうち、生存者は彼を含めわずか5名だった。



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