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【短編】ダイバーズウォッチ


某時計メーカーの生産技術部門に身を置く土門は、自分の左腕に着けたダイバーズウオッチを見つめ、高揚する気分を押さえられなかった。

記念日や自分へのご褒美で手に入れた、という訳ではない。生産技術部門という職場は、技術屋である彼の好奇心を満たすためには最高の環境だった。
同僚の目を盗みコツコツ作成してきた、特別な腕時計なのだ。

「10年かけて、ついに完成した。かかっているコストを考えれば、商品化したら数億円以上にはなってしまうだろう。もっとも、商品化は絶対に無理だが」

休日。土門はダイバーズウオッチの力を試すため、人気のない山奥にやって来た。何が起きるか分からないので、誰にも見られないに越したことはないのだ。
土門はダイバーズウオッチの「回転ベゼル」に指を添える。回転ベゼルには0を示す▽マークから60までの数字が刻まれ、半時計回りにしか回らないという点においては普通のダイバーズウオッチと何ら変わらない。
ベゼルを左回りに「5」まで動かし、リューズのスイッチを押し込む。

何も起きていないようだったが、土門にはハッキリと分かった。5秒間、時が止まったのだ。山奥なので動くものがほとんど無かったが、空を飛んでいるいる鳥が5秒間空中に停止してるのを土門は確認していた。

「やった。やったぞ。ついに時間を止める時計を完成させた。」
最大60秒間、時間を止める事が出来るのを確認した土門は、すぐにはそれを使おうとはせず、しばらくは通常業務をこなし何事も無かったように過ごした。
完成から2ヶ月ほど経ったある日、その機会はやって来た。
仕事を終え職場から駅にむかう途中。国道と県道の交わる交差点で赤信号を無視してタクシーが横断歩道を渡る人の列に突っ込んできた。

咄嗟に土門はダイバーズウオッチのスイッチを押していた。回転ベゼルは最後に試した時の「20」に合わせてあった。20秒間時間を止めることが出来た土門は、タクシーの突っ込む進行方向から全ての通行人を安全な位置に移動して、さらにタクシーのドアを開け運転手のアクセルペダルに乗った右足をブレーキペダルに踏み変えさせ、ギリギリのところでタクシーから離れた。

時は動き出し、辺りは騒然としたが通行人はだれもはねられることなく、タクシーも交差点をやや過ぎたところで急ブレーキにより停止した。

生きた心地がしなかった土門だが、一方で自らが開発した「時間を止めるダイバーズウオッチ」の力に素晴らしい可能性を感じたのだった。

しかし残念ながら普通は、「時間を止める」と聞いて連想するのは犯罪あるいは限りなく犯罪っぽい事ばかりだ。土門はこの技術が悪人の手に渡る事を最も危惧していた。だが、誰にも話さないでいたままでは、この時計と技術の素晴らしさは永久に世に出ない。
土門は熟慮の末、信頼に足る旧友熊谷にこのダイバーズウォッチの秘密を話した。
土門と同じ理系で、製薬会社に勤務する熊谷はにわかには信じなかったが、実際に時計を操作させる事で驚愕しつつも納得した。
「しかし土門ちゃん、こんなノーベル賞モノの発明、どうするのさ。俺に話してくれたのは嬉しいけど、正直手に負えない感が半端ないよ」
「だよなあ。無我夢中で作ったは良いけど、どう使うかまで考えてなかった。熊谷、しばらく時計はお前に預けるから、知恵を貸してくれ」
「うーん・・ま、分かった。責任持って預かるよ」

数ヶ月後。
「ポミポミ ポミポミ ポミポミ」
土門の左腕に着けた時計が緊急アラーム音を発した。興奮しながらも土門は「解除」スイッチを押した。
「来た!  場所は・・・△△区◯◯2丁目。設定秒数、30秒。熊谷のやつ、とうとうダイバーズウォッチを使ったな。 
この時計で自分以外の誰かが時間を止めたら通知が来る、もうひとつの時計があると知ったら驚くだろうな。ようやく正しく作動するか試せた。通知も、止まってる時の中で自分も動ける「解除スイッチ」もちゃんと作動したぞ。 熊谷、犯罪だけは犯すなよ」

同じ頃熊谷もまた、スマホ型端末の画面を注視していた。
「土門ちゃん、すまんな。きっと土門ちゃんの事だから誰かが時間を止めた事が分かる時計も作るだろうと思っていたよ。時間を止めておたくの生産技術部門に忍び込んでみたら案の定だった。忍び込むのは犯罪だが、仕方ない。
設計書をコピーさせてもらって、知り合いの技術屋に、止めた時間を解除されたのが分かる端末を作ったよ。土門ちゃん、私利私欲の為の犯罪だけは犯すなよ」









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