短歌+エッセイ「図書カード」

 11月11日から12日の境い目。眠れなかった。眠れなくて、いろいろ思い出していた。思い出すうちに、思い出が、どんどん遡っていった。
 忘れているから、思い出す。でも、思い出したことを、ときどきは、覚えておきたい。

そんなふうに書いた、ちいさなエッセイと短歌です。
どちらも未発表のもので、今、はじめて公開します。
読んでもらえるとうれしいです。

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「図書カード」

 毎日、学校の図書室へ行く子どもだった。毎日行って、毎日借りて、毎日読んで、毎日返した。一日一冊は読んでいたから、わたしの図書カードはあっという間に埋まって、二枚目、三枚目と重ねられていった。
 そう、わたしが小学生のころは、まだ手書きの図書カードを使っていた。図書室で本を借りるには、一人一枚持つ図書カードに本の名前と貸出日・返却日を、それと同時に、本の裏表紙の内側に貼られたポケットに入ったカードにも、同じように日付けと、そして自分の名前を書く必要があった。本を返すときその証として、何かはんこのようなものを押してもらっていた記憶があるけれど、よく覚えていない。
 覚えているのは、本を読むことはもちろん、一つ一つの本に内蔵されたポケットの、そのカードを眺めるのが好きだったことだ。
 わたしより先にこの本を読んだ人が何人もいて、その人たちの名前が、順番に書かれていること。学年も、顔もわからない、話したこともたぶんない、知らない人の名前なのに、その名前はどれも甘くやさしかった。それぞれの名前の漢字やひらがな、その組み合わせから得られるイメージを膨らませて、ぼんやり、空想をした。顔のかたち、目鼻立ち、髪型、学年。その人の声も聞こえるような気がした。同じ本を読んだ人と、校舎のどこかですれ違うところを想像した。
 本によって、名前がたくさん書かれているカードもあれば、まだわたしが三人目というようなカードもあって、そのどちらもが好きだった。名前のたくさん並ぶカードは黄色くくすんでいるのかというと必ずしもそうじゃなく、真っ白であたらしくてもたくさん名前が埋まる本もあった。黄ばんだカードを持つ長く置いてある本にもあまり読まれない本のあることが、発見だったりもした。
 本を借りてから読むまで、読んでいる途中、読み終えてから返すまで、学校で、家で、登下校中のバスで、何度カードを抜き差ししただろう。図書カードは、わたしの大切な、もう一つの物語だった。

筆跡と名前を知っているだけの甘さ 図書カードに見せる海/椛沢知世

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ありがとうございました。

椛沢知世

#短歌 #tanka #エッセイ

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