対話と会話が自分の輪郭をはっきりさせていく

誰かと話すのは嫌いではない。

多分生まれついて他の人とコミュニケーションをとるのは得手な方だったのだと思う。自分の子供達が育つのを見ながら、ああ、自分の普通は他人の普通ではなかったと肚で理解してきた。


沈黙をずっと嫌ってきた。

4人姉妹が「黙る」ということはつまり、相当のケンカをしているということになる。そんな中で育ったと思う。幸い家の中では姉達と妹との会話が絶えずあって、もっというと私が口を挟むスキマすらないくらい会話が続くので、家の中で私が沢山話す必要はなかった。というより聞いて貰えないなぁと思っていたのだ。

その分、外に出ると率先して自分が話した。姉達への憧れがそうさせたのかもしれない。けれど同時に「賑やかな会話に入れない」のは 自宅での自分だったから、自分が作り出した会話の場所に入りにくそうなひとが居るのはいやだった。相手を見ていればその人への直接的な質問なら答えられるひとなのか、興味関心がありそうな話題をただ拡げておけばゆっくり入ってこられる人なのかは大体わかった。

ちゃんとコミュニケーションの方法は、長い時間をかけて自分なりに育ててきたみたいだ。

昨夜、嶋津さんのCafeBarDonnaが日本の昼(こちらの夜)にある、と聞いて大喜びして参加した。嶋津さんというひとの思考の海はいつも心にやさしい波を立てていて、そこに波遊びにいらっしゃるときいたのがこの方達なら大喜びになるにきまっている。

一番最後にコミュニケーションの話が出てそこから夢の中までその思考がつづいていたのだけど、今このお三方を並べてみると私とは普通に仲良くなることがなかった人達だったかもしれないと思える。


日本時間昼間のCafeBarDonna、そこでされた会話を全部ここには書かないけれど、自分の「他人との関わり方」を思い返すチャンスをもらった。質問されて(しかもそれが「私ってそう見えるのか」という驚きをもつものだったりして)それに「ことば」で答える中で、他人との違いが浮き彫りになる面白さを久し振りに感じた。

そういう面白さ、対話の中で新たに浮き彫りになる世界を考えるきっかけをいつも貰う場所なのだ。

というわけで、そこの信頼するマスター?嶋津さんオススメなので 私も言い訳してないで「音声」というのをやってみようと思った、という話です。

一人語り・・・・出来るのかどうか全く見当もつかないけど。ま、やってみよう。とりあえず10日くらい!←ああ、言っちゃったよ・・・

ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーより、egtl2さんの作品をお借りしました。光が美しい〜〜みんフォトにあげてくださって、ありがとうございました。


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