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「それでも諦めない。」第6話

PICSのおさらい

20x7年4月8日土曜の夕方に、直通番号へ電話をした。亜衣さんにPICSの話をもう一度聞きたいとお願いした4月5日の定期連絡のあといつ電話をしようか考えていたのだけれど、平日だとやはりどうしても夜8時とかになってしまう。急がない(と俺は思っている)ことでその時間に連絡するのは、あんなふうに言ってくれていても申し訳ない。それに4ヵ月前とはいえ、一度PICSに関して時間を取って教えてもらっているのだ。自分の理解の悪さがちょっと恥ずかしかったというのもある。

で、工場は土曜の昼までやっているが、そういえば一般の仕事は土曜は休みだったかもしれない、とはっとして気付いたのは亜衣さんが電話に出た直後だった。

「大丈夫ですよ。私達は年中連携室の椅子に座っているメンバーとは違う働き方してますから」

という亜衣さんの言葉に、俺はますます恐縮するしかない。

「PICSの話の前に広木先生からお父様のICUの経過をもう一度まとめてお伝えするよう指示が来てます。再度当時の経過を振り返る中で、どんなものが影響した可能性があるかということをまとめて・・・ああ、後ほどメールでも小林康志さんの経過をお送りしますね。今日の話の内容も書き取ってまとめて一緒にお送りします。もちろん、同じものが広木先生、それからヘルパーの飯田さんにも送付されます。」

いつもながら情報共有の正確さと素早さは亜衣さんの能力の高さでもあろう。飯田さんもちゃんとそういった状況を汲んで、手伝ってくれる内容に反映させたりしてくれる。

「そしていつものように、必要であれば広木先生のコメントがのちほどつけられて、それをまたメール送付いたします」

なにか新しい情報や患者家族として知っておくべき情報がすばやく亜衣さんのところから送られてきて、それを読んだ後で亜衣さんに質問をしたり確認したりするとびっくりするほどの素早さでその会話の記録に広木先生のコメントがつけられたものが送られてきた。マンガみたいに吹き出しをつけてコメントを手書きしてくれるのが読みやすいし、多分亜衣さんもそれを清書せず転送してくるあたり、「この吹き出しコメントがコミュニケーションなのだ」と理解してわざとそのままにしているのだろう。

4ヵ月前に倒れてから、俺はこういったものをプリントアウトして福田さんご夫妻や矢島くんに渡すようになった。だって、俺同様二人も家族みたいなものだし、いろいろ知ってPICS-Fなんかにならないようにしていてもらいたいから。そしてこれを何度か繰り返すうちに、父の変化や体調に皆が振り回されることが減ってきた。少し自分たちを客観視できるようになって余裕が出来てきたのかもしれない。

やり取りの記録を読み返すと、あの大きな広木先生が背中を丸めながら、汗をかきながら一生懸命書き込んでいる姿が見える気がする。俺たちが小さい思い違いもおこさないように。広木先生も忙しいだろうに。でも・・・同時にそれは亜衣さんのサポートがいいってことが大きいのかな。
ちくりと胸が痛い。そんな息の合う仕事仲間、特別だろうな。

「ありがとうございます、助かります。なんかいつもそうなんですけど、その瞬間は分かった気になるし そのあと疑問に思うことがあっても時間が経つとそれもよく分からなくなっちゃうんですよね。」
「そうですよね・・・皆さんそうおっしゃいます。あ、皆さん、というのは他のICUを経由して普段の生活に戻ろうとしている方達で私がお手伝いしているご家族のことですが。」
「前にきいた、藤枝さんがフォローされている他のご家族ですね?」
「沢山、というと大袈裟かもしれません。広木先生がICU滞在が長かった方や特殊な変化の見られた方を中心にフォローアップを始めたのが1年も経たない前・・・ちょうど私が小林さんご一家のお手伝いに入ったあたりなので、まだ少数です。でもPICSは知られているよりもかなり多いのではないか、とは以前からいわれています。ICUでの重症期を経て退院なさった方をICUサバイバーと呼ぶことがありますが、そういう方達全員をフォローするのはかなり難しいです。保険診療にはなかなかできませんし。」
「なるほど、それでサバイバーの家族にはよくヘルパーさんのお手伝いが入ることがある、ってところに目をつけたと」
「そんな感じです。でも正確には存じませんが多分そういう試みは結構あちこちの医療機関で、されているんですよ。」
「はぁ・・・」

知らない世界っていうのは本当に、どんな縁の下の力持ち的な仕事をするひとがどこにいるか、ってわからないもんだ。

「それで広木先生はITの力を使うことを考えていらしたんですね。時間がかかるからこそ。ただ、伝言ゲームでもあるように伝言は誰かを介すると微妙にずれていくじゃないですか。だから私なんかは ディクテーターという「話し言葉を書き取るソフト」、チームに素早く情報を共有するソフト、私の理解が思い込みに偏らないようにするAIなどを組み合わせての仕事です。」

広木先生、すごいなぁ。ぱっと聞くと簡単そうだけど実際それがどれくらい細やかなコマンドが必要かは想像できない。

「すっごいですね。」
「私自身は単なる中継点ですけどね」
「そんなことないです。中継点こそ、身体の中の心臓みたいなものです。」

つい力が入った言葉が口から出て、電話の向こうで亜衣さんが笑った気がした。

「亜衣さんの働きあってこそ、の広木先生のこのチームなんですよ。俺ら患者家族にもどれだけ支えになっているか」
「ありがとうございます。広木先生にもいつも大事な仕事だと言われますが、なんというか・・・康太さんから言っていただくと、照れますね。ものすごく嬉しいです。」

言葉が途切れる。でも居心地の悪い沈黙じゃない。こちらの信頼と感謝がちゃんと亜衣さんの心に届いたとわかる沈黙だ。

「では、経過のおさらいに戻りますが、その前にひとつお知らせを。以前にお話したことがあると思うんですが、もうすぐ小林さんたちに参加していただきたいサポートグループが出来ます。初回のミーティングはゴールデンウィーク前を考えているので、ちょっと直前のお知らせで申し訳ないんですけど4月25日火曜日になります。午前10時から万津総合病院内で、のちほどご案内メールが届く予定です。」
「25日・・・2週間後くらいですね。出た方がいいんですか?」
「今広木先生と私共がフォローアップしているICUサバイバーのご家族にご案内しています。出た方がいいかどうか、は、初めての試みなのでなんとも言えませんが、広木先生からは海外の試みで良好な結果を得ているから、とのお話でした。」
「では父も一緒ですね」
「そうできたらお願いします。」

ちょっと気は重かった。父はもう、外部の人と会いたがらない。でも聞いた感じだとこのグループはみんな多かれ少なかれPICSを抱えている家族なんだろう。俺や福田さん、矢島くんが「チーム広木」のサポートを受け始めて大分客観的に状況を受け止めることが出来るようになったように、父さんもなにかのきっかけ、願わくば小さな希望をみつけられるかもしれない。俺は手許の手帳に4月25日10時、と書いてぐるぐるっと○で囲んだ。

「二人で行きます。」
「ありがとうございます、でもこれから月に1度くらいそんな会を設けるつもりでいるので、無理なさらないで大丈夫ですよ。続けますので・・・では、経過のおさらいに移りますね。メールで一覧にしてお送りしています。それを見ながらいきましょう。」


経過記録

20x4年10月11日(土)

 10:38 救急車にて来院
  救急車要請理由: 倒れていた
  主訴: 腹痛、発熱、意識障害
  来院直前から血圧が下がり始め、緊急挿管。輸液。
 11:07 腹部超音波、腹部CTにて急性胆嚢炎と腹水貯留確認
 11:10 ご長男来院
    急性胆嚢炎・汎発性腹膜炎・敗血症の診断
    開腹手術の承諾を得る
 12:10 手術室入室
    開腹胆嚢摘出術、腹腔洗浄
 16:40 ICU入室 
    ご長男へ経過と処置報告、ICU入室管理の説明

20x4年10月12日(日)
 敗血症に続くARDS(急性呼吸窮迫症候群)
 血圧はいまだ不安定
 血液培養の結果にて抗生剤変更

20x4年10月13日(月)
 バイタル著変なし(ショック状態)
 腎機能障害の可能性

20x4年10月14日(火)
 呼吸状態改善傾向
 腎機能障害 血液透析導入検討

20x4年10月15日(水)
 ARDSは画像で改善傾向・血液ガス改善にて酸素濃度30%へ
 呼吸器設定変更
 血圧安定してきたため昇圧剤減量
 腎機能障害 要観察・自尿が観察される

 意識障害あり

20x4年10月16日(木)
 バイタル安定してきた
 短時間だが意識レベル上昇しコミュニケーションが取れる
 ウィーニング*開始
 
20x4年10月17日(金)
 血液酸素化良好になってきた
 昇圧剤を切る
 ウィーニング中
 会話が理解できない?
 

*ウィーニング:人工呼吸器からの離脱、つまり器械による強制換気から自発呼吸に慣れさせる訓練への移行プロセスのこと。通常大きく3段階を踏んで抜管に至る。

「言葉で並べるとこんなに少ないんですね・・・でも、俺は目眩がするくらい色んな事を思い出しました、いま。」
「はい」
「最初は多分、父に起こっていることがなかなか実感できなくて。でもぼんやりしたまま日曜にICUに着いて、またそこで説明をきいて、その時です。あ、父さん戻って来ない可能性もあるんだ、ってものすごく恐怖を感じて。
父さんが寝てるのは薬でじゃない、って聞いたときは、じゃぁなんで目を開けないんだ、ってパニックになりました。」
「はい」
「で・・・この月曜日なんて、13日のですね。大きく変化がないって言われて頭が真っ白になって。広木先生が抗生剤を変えたばかりだから、それが効いてくるのを願ってるって、今は待つしかない・・・って・・・」

あの時の恐怖感が足許から這い上がってきた。言葉が続かなくなって涙が出た。ああ、父さん帰ってきてくれてよかった。

「・・・すみません、思い出して泣けてきちゃいました。」
「大丈夫です。怖かったと、思います。」
「いや、この日広木先生にもしかしたら一時的に血液透析をまわすことになるかも、って言われたんですよ。そうなった時でも、俺が驚き過ぎないようにって先にやるかもしれない処置の話をしてくれたって分かってるんです。分かってるんだけど、数日前まで元気だと思ってた父に、お腹を大きく開けての手術だとか糖尿があったとか敗血症で危ないっていわれてたあとには血液透析だとか。急にテレビドラマとかでしか聞いたことのない処置の名前とか出て、混乱しちゃって。」
「はい」
「でも同時に、ああ俺かなり怖かったんだなぁって理解しましたし思い出しました。忘れちゃってたんです。」
「広木先生の言葉を借りれば自己防衛本能で忘れようとする、とか、自分に起きていることだと感じないようにする、とかなんでしょうか。」
「そうかもしれません。でも多分、自分は怖かったと当時のことを理解するのは大事なんでしょうね。まぁ、今の怖さは色々な支払いとかですけど」

大分正直に怖かったことを話してしまって、ちょっとお金の話で笑ってもらおうと思ったのだけど、言葉にしたら実際すごくストレスだと気付いた。そして亜衣さんも気付いてくれたんだろう、すぐに続けた。

「それも大きなストレスのはずです。心療内科は今一ヶ月に一度だったと思いますが、そういう話をされてますか」
「えーと、どうだったかなぁ。したような気もします。生活リズムが狂わないかとか眠れるかとか、そういう話が中心なんですけど」

そっか、心療内科でそういうことも伝えて行かなきゃいけないんだな。

「康太さんは今これを読んで怖さを思い出したのでしょうが、普段の生活の中で時と場所に関係なく突然怖さを思い出す、とか、そういうことはありますか。」
「俺は多分大丈夫です。でもそういえば、父が突然激昂したりして触るな、って暴れるときって、もしかしたらなにかを思い出してるのかな。ICUを出る前にそんな事をいって暴れてる、って聞いたことがあります。それと一緒?うん、そうなのかな」
「次のあたりですね、17日以降のところを見て下さい。」

20x4年10月18日(土)
 胸部X線、血液ガスデータともに改善
 せん妄あり

20x4年10月19日(日)
 抜管
 午後せん妄あり

20x4年10月20日(月)
 一般病棟転床

「せん妄、ってなんですか。」
「言葉の定義としては意識障害、注意力の欠如、短時間で急速に進行する意識状態の変化とされています。つまり・・・何が起こっているのか理解できず、日時や自分のいる場所がわからなくなって、ときに妄想や幻覚が起きることもあるというものです。」
「あー、見舞いにいった俺に父が言ってました、何とかしてくれないと父さんは殺されてしまうとかなんとか。あんまり暴れるから、一晩くらい抑制帯っていうんですか?なんか手とかを縛り付けられてましたね。」

似たようなことを、退院してからも父は時々言って暴れた。あんなに筋力が落ちているのにどこから、というすごい力なので、退院直後は本当に振り回された。

「広木先生が小林さんに連絡を取ろうと考えられたのはこのせん妄の記述だとおっしゃってました。PICSに見られるような認知機能の低下は、せん妄を起こした人に高率で起きるといわれています。そして今世界ではICUでのせん妄とはICUに入ったから普通に起きる副作用ではなく、その命の瀬戸際にあるなかで起こり得る急性脳機能障害として認識されています。」
「はぁ・・・脳機能障害、ですか。」
「小林康志さんの記録には17日に『会話が出来ない』の一文がみられます。せん妄、もしくは認知機能障害が出ていたのかもしれません。」
「15日の時点の『意識障害』っていうのは」
「看護記録を見ると・・・あ、すみません、これはこちらでしか見られませんが・・・まだ『目覚めていない』ということのようで、せん妄とか混乱とかとは違うように受け取りますが、念のため広木先生に確認します。」

まだ俺にはいろいろ分からない。でももしかしたらPICSそのものの原因とかもよくわかってないということなんだろうか。

一人で生活するところまで戻らない筋力、知能に関わる記憶がまだらに抜け落ちていること、突然暴れ出したりすること、それを広木先生はPICSの症状だといった。今父の経過を見直すと、かなり初期からPICSに繋がりそうな症状があったみたいだ。でもあの時期予防する手立てがあったのかは、少なくとも俺にはわからない。あの時はみんな、父の命を救うことに一生懸命だった。俺も、命を救う事以上に大事なことはないと思ったし、例えば父の筋力が落ちないようにと思ってもまだ意識も戻らなかった父に運動させることなんてまず無理だろう。

「PICSを予防するために、ICUでどういう注意をはらうことが必要かという研究は大分されてきましたが、日本では広まっていない、というのが広木先生のお考えです。」

俺はだまって経過記録を見る。短い文章の間の空白部分に、看護師さんたちが父に話しかけたり広木先生が何度も父のとなりの椅子に座って説明したりしていた様子を思い出す。誰も居ないときは俺が隣に座って、時々目を覚ます父にここにいる、と笑顔を作って見せた。目が合うまで父の目は混乱のなかにあったけれど、俺の顔を見て、俺が笑うところを見て、眼の中にあった不安が薄れるのを何度も見た。
この余白には父の不安と俺の心配と、関わってくれた人の沢山の時間や差し伸べられた手がある。そう思ったときはっとした。

「もしかして・・・」

自分が元気でいなきゃいけない、ってところに頭が凝り固まってた。いやいや、先にやることあるだろ。家族なんだから。

「あの、ありがとうございました。俺、25日、必ず父と参加します。今日はありがとうございました!」

亜衣さんのはい、ではまた次回の定期の電話で、という声を聞き終わる前に俺は電話を切って立ち上がった。


↓ 第7話


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