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「それでも諦めない。」第7話

ICU卒業家族の会

亜衣さんに父の経過のおさらいをしてもらって自分がどんな風に感じてきていたかが分かった俺は、同じ事を父こそが必要としているんじゃないかと思った。どこから始めて良いかわからなかったが、とにかく経過記録をプリントアウトして父とそのとき俺が思ったことや分からなかった事を話すところから始めたのだ。

「あのな、父さん気付いた時に身体が鉛みたいに重くてなぁ。今だから重病で何日も寝たままで筋力が急激に落ちたんだ、ってわかるけど、最初あの部屋で俺の身体はなにかの実験に使われてるんだ、と思ったんだ。」
「え、そうだったの?」
「失礼な話だよな、みんなが父さんを助けようといろいろしてくれたのに、父さんは殺される、って思ってたんだから。」
「もしかしてこれかな、まだ人工呼吸器につながれてたときに『会話が理解できない?』ってかかれてるやつ。」
「そうかもしれないなぁ。いや、よく覚えてないんだけどな。」

こんな会話に始まり、やがて友達の名前、工場での仕事の手順、ものの名前や「さっき話したりやっていたことが分からなくなる」ことが繰り返される不安なんかの話もするようになった。もちろん、それは見ていたから分かるんだけれど、「康太が出してくれる食べ物、飲み物ですら、俺の身体での実験を続けるひとが何かをいれていて、それで思うように動かないんだとか頭が働かなくなるんだとか、信じ込んでしまったりもしてたよ」といわれて、ああだから急に怒ったり暴れたりしたのかな、と思った。それを言ったら「違う」って言われてしまったけど、まぁいい。辻褄が今あわないのであろうがなんだろうが、父と言葉を交わして 余白の時間に漂う父の悩みや混乱を少しずつすくいあげていこう。そう思えた。

徐々にPICSという病態があるんだよ、という話も始めることが出来た。最初父は「そうか」と言っただけだったが、翌日からは「父さん、自分のこういうところが前と違いすぎてて腹立たしいって思ってるんだが、こういうのもPICSなのか?」みたいに、現状を言葉で表して理解しようとし始めた。
沢山話しているからだろうか、父の前よりもぼーっとしている感じが、その頻度が減った気がしてきた。


そのうち亜衣さんに聞いた通り、「ICU卒業された患者さんとそのご家族の会」なる招待メールが届いて、今日4月25日は久し振りに父と俺がそろって病院にやってきた。平日の午前10時前の病院は、早朝とお昼前の混雑時間の隙間みたいで、結構すんなりエレベーターにも乗れた。会場は病院二階の奥の、少し大きめの会議室みたいなところだった。

机は部屋の隅によけられていて、ひろく開いた部屋の真ん中に椅子が丸く置かれている。二階の高さの窓からは花が終わって濃い緑にかわりつつある葉をふさふさとつけた大きな桜の木がちょうど見えて、窓をあけてこの美しい季節の風を入れたいような気持ちになる(窓は開きません、といわれたけれど)。
入り口に立っている病院職員さんと思われる女性が「椅子が足りないときはおっしゃってください、持って参ります」と声をかけていた。名札に医療連携室 小室、とかいてあったので、きっと普段接点はないがみんなお世話になっているんだろうな、と推測した。

車椅子を使っているのは父だけではなくて、車椅子でなくとも歩行器を使ったり家族の手を借りてゆっくり歩く人も居た。
午前10時数分前には6家族がそこに座った。俺もそうだったと思うけれど、ご本人たちは勿論のこと一緒に参加している家族のひとたちは不安と興味の混じった視線を周りに投げている。明るい大きな部屋に、一人一人の不安のようなものがじんわりと足許にひろがって、時々家族で話す声も自然とヒソヒソ声になる。そのときばん、とドアが開いた。

「あーーーみなさん、来て下さってありがとうございます!お久しぶりですよね。忘れていらっしゃる方もいるかもしれないので自己紹介から、ICUの広木です。連休前にお会い出来てよかった!」

どすどすどす、と部屋に入ってくるなり広木先生は両手を振りながら全員に笑顔を振りまいた。広木先生の後ろにはヘルパーさんの飯田さんと、あと2名、飯田さんのとお揃いの制服をきた女性と男性とが並んでいる。

「えっと、僕のチームのスーパーヘルパーさんたち、皆さんご存知の人も初めましての方もいると思うけど、左から飯田さん、桑野さん、あと力なら任せて、の八木さんね。はい、よろしくー。」

パラパラと小さい拍手がおきる。

「で、ここにいる皆さん、期間とか時期とか、もとの病気とかはちがうけど、全員ICUで危険だった時期を経て今はお家に帰ることのできた、ICUサバイバーさんとそのご家族です。自己紹介は追々してもらうということにして、先になんで皆さんに集まってもらったか、の話をします。スイマセン、僕この話したらまたちょっと行かなきゃいけないんで。でも大事なのはみなさんが細かい状況は違えどそれぞれがPICSと戦うひとたちだということです。」

皆がお互いを探るように見渡している。PICSを持ったひとたちが集まるんだなとは思っていたけれど、どんな症状なのかは確かにわからない。

「亜衣ちゃんに聞いたひともいると思いますけど、僕もこの会がどんな機能を果たしていくか、まだわかりません。だけど同様の経緯を経てPICSの苦しみを知っている人同士で、経験を分かち合ったりこんなことをやってはどうだろうっていう提案をしてみたり、ただ友人として時々雑談をしたり、ってのができるのは、実は大事な事なんじゃないかと思うんです。アメリカなんかではもう色んな事が試みとしてやられてるけど、日本の場合残念ながらみんなが忙しすぎてね・・・あ、僕もです。だけど、情報共有ってだいじで、そこから新たなアイディアだって出てくると思うんですよ。とにかく、今日は初めてなので3つのこと、お互いにシェアしてください。一つ目、お名前ね。あ、担当ヘルパーさんの紹介もよろしくです。二つ目、PICSとして自覚する、症状や困っていること。三つ目、・・・あれ?3つ、っていったけど、2つでいいかもな?すいませーん、ぼく準備不足ですね。」

広木先生の明るい口調に部屋がふわっと緩む。

「あの、藤枝さんは参加されないんですか?」

向かい側の、車椅子の若い女性に付き添う彼女のお母さんらしき女性が手を挙げて質問した。

「あー亜衣ちゃんは音声を文章にするお仕事なんで、このコンピューターから聞いてまーす。ま、いるようなもんです。」

みんながそうなんだぁ、と言ったり、ちょっとがっかりした感じの表情なので、亜衣さんが全員の担当サポート係なのだと見当がついた。すごいな、亜衣さん。スーパーサポーター/コーディネーターじゃないか。


参加したサバイバーの人たちはこんなかんじだった。
田辺さん、75歳男性、4年前に肺炎で入院、その後悪化してICUへ。
退院は出来たが激しい筋力低下で今は全介助、担当ヘルパーは八木さん。言葉が「頭の中でとっちらかって」上手く話せなくなってしまったため、奥さんと毎日言葉の練習をしているらしい。
結城さん、48歳女性、4年前敗血症からICU管理。外資系投資銀行に勤めていたが今は「前の仕事でやっていた、工程を考えられなくなった」ために退職してパートで書店員をしていると。筋力低下は少ないが、うつが酷く苦しんでいる。家事でも「手順を考えられない」ことが多く、週1〜2回の桑野さんの助けを借りている。「言葉を思い出せない」「数字が途中で分からなくなる」ことが多く、訓練のために始めたクロスワードと数独(SUDOKU)に今はまっている。
青柳くん、34歳男性、7年前インフルエンザが重症化、ICUに2週間。酷いうつと不安に悩まされている。奥さんとご両親がサポートしているが、その3人にもPICS-F(不安、うつ)がある。週2回の桑野さんのサポートが入っている。
古谷ゆかりちゃん、25歳女性、2年前自殺企図で大量に薬を飲んだために薬剤性肝障害をおこしICU管理へ。合併症で現在筋力低下とうつ、PTSDとがある。週3回ヘルパーの飯田さんがお手伝い。お母さんが看病してくれている。
川田さん、46歳男性、イラストレーター。去年腎移植後で免疫抑制剤を使っているときに肺炎併発し、ICU管理へ。ひどいせん妄があり、その幻覚が今も残ると。不安とPTSD。ヘルパーさんは桑野さん。

本人が話せない人が多く、付き添いのご家族が簡単に状況を説明することがほとんどだった。俺はしばらく前から父と入院していた頃なにがあったか、の話を毎日するようになったので、「自己紹介」は父が「自分が理解できていることを話す、絶好の機会がきました」と言って周りの笑顔と拍手をもらっていた。
そして、どうやら付き添いのみんなが多かれ少なかれ不安や鬱なんかに悩んでいて、青柳くんのお母さんなんて「鬱に悩むのが自分たちだけじゃないって分かっただけで、救われた気がする」と泣いていた。

自己紹介の途中で一度広木先生は呼ばれて出て行ったけれど、最後の頃はまた戻ってきてみんなの話をうんうん、と大きく頷きながら聞いていた。そして最後に「今日はこの部屋、お昼まで抑えてあるんで、あとは皆さん交流してくださいね。」とまとめると医療連携室の小室さんとヘルパーさんたちに「あとはよろしく!」と手をあげてまた忙しく部屋を出て行った。

父は珍しく他のサバイバーのひとたちに自分から話しかけ、言葉が思うように出てこないとかの普段のつらさを分かち合っている。
「そう!そうなんですよねぇ!」
という声があちこちから聞こえている。

俺も他のご家族と少しずつ情報交換をした。中でも結城さんからは「ことばがなかなか出てこないときに役に立ったクロスワード」の本なんかを教わった。

「クロスワードも数独も、やってみるとバカにしたもんじゃないんですよ。あ、もちろんこれは私達がPICSでそういう能力の一部を失っちゃったからかもしれないですけど・・・最初は全然出来ない自分にものすごくガッカリするんですけどね。だけど、練習で取り戻してきた部分って、あるなぁって思います。」
「そうなんですね!?うわぁ、それ、父が勇気づけられると思います。そっかあ、そういう訓練で取り戻せるなら、これからのことを考えられますね。」
「もちろん若い子みたいにばんばん成長できる、とはならないですよ。でも私、おかげでこうやって話すときに言葉を探すの、大分なくなりました。そうそう、うちの本屋さん、店長のご厚意でそういう数独やクロスワード系とかの取りそろえがいいんで、よかったら来て下さい。○×駅前で夜8時まで開いてますし、私は日中3時間ですけど火曜日と金曜日に出てます。」

古谷ゆかりちゃんは表情が乏しいが、「これでも今日は大分顔色もいいんですよ」とは古谷さんのお母さんだ。ゆかりちゃんのPTSDはICUに入っていたとき状況が理解できずみんながゆかりちゃんを殺しにやってくると信じた時期があって、何でもないときに「ICUで聞いていた機械音が響き渡って恐怖で動けなくなる」のだそうだ。お母さんは鬱で表情の減る娘を見るのも辛いが、あのPTSDのフラッシュバックで恐怖におののきながら凍り付く娘を見なければいけないのも「何とかしてあげたいのに何もできない」と泣いていた。

父以外にも誰かに殺される幻覚を見る経験をしているひともいれば、もっと恐ろしい幻覚の話も聞いた。ふと気付くと、あるはずの無い点滴の管が腕に繋がっていて、管の中をアリが歩いて体の中に入るといったのは青柳くんだった。
「最近はようやくなくなってきましたけど・・・・五年くらいかなぁ、時々その、僕に向かってくるアリが見えてね」
奥さんがぎゅっと青柳くんの手を握って、青柳くんがふうっ、と、力の入ってしまった肩を揺らす。青柳くんのお母さんも心配そうに彼を見遣る。


そうやって家族の会での時間はあっという間に過ぎた。沢山の初めての人に会い、沢山聞いて自分からも話し、父も俺も帰りのタクシーではくたくただったが、それでも父がすこし元気になった気がした。
一人ではない、ということ、みんなが支えてもらっていて、これからお互いを支えていけるであろうと感じたことは、もうそれだけで大きな勇気をもらうことだった。


↓ 最終話


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