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家族と病

ここ数ヶ月、とくにこの1か月に、父と義父の病気が続いた。どれも緊急・準緊急な処置が必要なものだったが、幸いいずれもなにかをすり抜けるかのように最悪は逃れてきている。そしてその中で偶然父の胃癌がみつかった。

幸運の重なりの中で見つかったもので、性格も良い方の腫瘍だし外科技術も進んできている現在 高齢だけど手術しましょうということになった。もちろん、根治を目指せそうだから、ということで。

が、昨日のことだ。手術の朝に心臓の動きが不穏で循環器の病院へ転院、いったん手術は延期になった。まぁ術前検査に大きな問題がなかったから予定された手術だったのだけれど、今日のことで大きな問題無しとはいえ難しい選択を迫られることになった。いくら技術の進んだ現在とはいえ、やっぱり心臓エピソードがあると先に進めないところっていうのはある。


私の身内には医者が多い。けれど、今の状況はそんな人間たちが集まっても絶対の正解を見つけられない。語弊を招きそうだが正解の選び方は「皆が仕方ないね、と諦められる場所探し」だ。誰もが父に長生きして欲しいと思っている。だが取り切れないならこの病気から完全に逃れる可能性が低いことは認めなければいけない。何年という時間を上手くつきあっていっても最後に父の命を蝕むのはこの病気だろう。


私達はいつか必ず「いかに死にゆくか」を考えねばならない、身内のこととして、自分の事として。そしてそれは「いかに生きるか」を 微に入り細を穿つ形で自ら彫り上げる、木彫りの仏像みたいなものなんだと思う。

病気は自分自身だ。いつ、どこでどんな性格のものが表に出てくるかは違うけれど、出発点は常に自分自身だ。

トリプルキャンサー(多発癌で、3つの違う癌が確認されたこと)を煩った友人の女医さんも「これは私だから」と言った。ずっと、ご自身の人生と家族の人生とを感じ考え思い出しながら過ごされていた。本人も私も、経過やその後予測されることがわかるから、彼女はただ起きていることを淡々と語り私は頷くだけで聞いていた。何も言えなくてごめんね、と私が言うとそんなもんでしょ、と彼女は笑った。

私の好きだった書き手さんもやはりそうおっしゃっていた。ご自身の病とご自身の体・心のことを言葉にされようと、しっくり来る言葉を淡々と探していらした。その状態を見つめて受け止め表現される彼の言葉には、生きるという命題に肩の力をぬいて真っ直ぐ向き合う人間を見た気がする。

心臓の検査のため転院した先から(日本時間の)夜に ことの次第を簡潔にまとめた父からのテキストメッセージが届いた。
父らしい自分の感情は一切書かれていない報告書みたいな文章に、「心配するな」という無言の伝言がのっかっていた。同時に「医者同志だから送るけど、ちょっとだけこちらの弱音を汲み取ってくれ」という、さらに奥にある気持ちもほんのふりかけ程度にくっついていた。

心配は、するんだよね。家族だからね。




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