見出し画像

「それでも諦めない。」第2話

福田さん

俺はいま、父・小林康志が経営する自動車修理工場で働いている。というか、父が倒れて、工場を手伝ってくれていた福田さんとか矢島くんから「工場をお父さんの代わりに引っ張ってくれ」と頼まれて、勤めていた大手自動車会社の工場のあるS県S市から戻ったのだ。戻るといってももともとそこまで離れた所に住んでいたわけではないが、父の生活サポートも必要だから退院にあわせて自宅に戻り、社長代行に収まった。もちろん実際の大事なところは長年の父の相棒の福田さんが取り仕切ってくれている。俺の本音は、ほとんど2人目の父みたいな福田さんに社長代行までやってほしかった、なんだけど。

父は2年半前、20x4年10月11日に激しい腹痛と高熱で救急搬送された。救急車を呼んでくれたのは、まさにその福田さんだ。
俺が中学1年のとき母は交通事故で他界している。だから俺が就職して家を出てからは工場の裏手にある家で父は一人暮らしをしていた。その日、父が午前10時になっても工場に現れないからと、福田さんが家に様子を見に行って倒れている父を見つけてくれた。福田さんは救急車を呼びながら同時に俺に電話をくれて、社長がこんな状態で、忙しい時申し訳ないけれど急ぎで来て欲しいと言った。詳しい病院の住所なんかは工場の若手・矢島くんがSNSのメッセージ経由であっという間に送ってくれたので、俺は家からタクシーで病院に駆けつけることができた。

俺が病院につくと、救急室担当の医師が待っていた。父は胆嚢炎という診断だったようだが、「小林さん、だいぶ我慢しちゃってたようで、汎発性腹膜炎をおこしているんです。すぐに手術しないとなりません。」と説明された。「はんぱつせい」という言葉は平仮名のままふわふわと頭の中で回っている。思考全体が固まってしまった。
福田さんからあの電話をもらってから一時間も経たずに病院にきたのに、説明してくれている先生の向こうには、既に口から管を入れられ人工呼吸器と沢山の点滴の機械に囲まれている父が寝ていた。そして手術の準備なんだろうか、父の周りはまだかなりバタバタして見えた。もう俺の状況理解の限度を超えたなぁ、と、こんな緊迫した中でどこか呑気に思っていた。

胆嚢炎って言葉は聞いたことがあっても胆嚢がどこにあるとか何をするものとかすら全くわからない。先生からの説明は後で考えれば簡潔でわかりやすかったけれど、その場では「とにかく具合が悪くて一刻も早く原因となっている胆嚢を取り、お腹のなかを洗わないと」いけない状態らしいということだけしか理解できなかった。はんぱつせい、ってのは全体にひろがった、みたいな言葉だと教えてもらったのもその時だ。
でも理解がついていかないのは俺だけの問題だ。とにかく「よろしくお願いします」と頭を下げて、言われるままに同意書やらなにかの書類にいろいろサインをした。それは褒められたことじゃないだろうし、本来家族ならちゃんと理解して必要な質問をして、とかすべきだろうけれども。でもあの時点ではとにかく最善を知っているのは病院の人だけだ、としか考えられなかった。とにかく父は結構大変な状況で急ぐのだ、という雰囲気が覆い被さってきて、理解する、考える、は後回しだ、と思ったのだ。


そもそも胆石や胆嚢炎というのは比較的よくある病気らしい。その日父につきそって病院で待っていてくれた福田さんが、

「社長大変だったんだな、俺も15年前にやったよ、胆嚢炎。まぁこっちは炎症がひいてからの腹腔鏡手術だったけどな」

と言うものでいろんな意味でビックリした。
まず15年前なら俺はまだ家から大学に通っていたはずなのに福田さんが胆嚢炎を患っていたとは知らなかった。福田さん、入院してたっけ?工場はウチからバス通りに出る近道だからいつも通って顔みてたのに。すぐ退院してきたってことかな?若かったからすぐ治ったのかな? それに炎症が引いてからの手術だって?腹腔鏡って、よくわからないけど術後はずっと楽だってやつだろ?あれ、でも今回は「すぐお腹を開ける」っていわれたぞ?・・・手術室に運ばれる父さんは、なんか結構深刻な感じだったし、んー父さんは俺が思ってるより重症だったのかも。

工場のほうは矢島と俺でなんとか回しておくから、と言ってくれた福田さんに感謝を伝え頭を下げた。福田さんも経験した「胆嚢炎」の手術だし(と、さっきあんなに担当の先生に大変なんだって言われたのに、この時は多分そんなに大変なことじゃないんだろう、となんとなく思ってしまっていた)何時頃手術が終わるか、とかもわからなかったので、手術の結果のことなんかはまた電話しますから、と言って、朝からいてくれた福田さんには家に帰ってもらった。

手術室に近い待合室で俺はうっすら水色が入った壁をただぼんやりと見ていた。この数時間に起きた事や福田さんから聞いた話を頭のなかに並べて、今の俺がなにをするべきなのか考えようとしたけれど、結局その時点でなにもできることはない、と腹をくくることしか出来なかった。気付いたら廊下の電気がつき窓の外は夕焼けに染まっていて、自分でも俺は今まで何をしていたんだ、とキョロキョロする。
俺が幸いなのは、福田さんみたいなひとが近くにいる、ということだ。相談出来る人がいるというのはこんなにも安心感になるんだと知った。昔からお世話になってるけど、今回の事でますます、福田さんがいてよかったと思った。


父が病室に戻ってきたのは福田さんが病院を出てからさらに2時間ほど後だった。「病室」はちょっと分かりにくい場所にあるからと看護師さんに案内されたそこには 近寄り難い感じの冷たく光る白い自動ドア、そしてその上に『集中治療室 (ICU)』という固い文字が並んでいた。


20x4年10月11日土曜日

看護師さんに案内されたICUの入り口手前には小さな部屋があって、そこにいくと既に担当の先生たちが待っていてくれた。手術を担当した先生と、ICUの担当の先生と、ICUの担当看護師さんということだった。
まとめると(といっても俺にはいまだに文字面しか理解できていないが)父は「急性胆嚢炎+汎発性腹膜炎+敗血症」という状態で入院したらしい。要するに福田さんが昔やったという胆嚢炎の、とくに酷いやつ。強い炎症のせいで胆嚢に穴があいて、漏れ出た胆汁で「胆嚢炎を起こしたバイ菌などが さらにお腹全体に酷い炎症をおこし」たのが腹膜炎だと教わった。そこで初めて「汎発性=お腹全体に拡がった」腹膜炎ってことで、本当に大変な状態だった。この炎症で「バイ菌が全身に回ってしまい敗血症という状態になって」父は倒れていたようだ。ここまでの経過は確か、病院に大慌てで辿りついた時に、早口でだったが担当の先生に聞いた気がする。もう何が何だか分からず「とにかくよろしくお願いします」になったやつだ。

「小林さんが病院にいらした時、既にお父様は口から呼吸の管をいれられていたと思いますが・・・」
「はぁ・・・そうでした、こちらも慌ててしまって、なんでそうなっているのかを尋ねる、なんてことも思いつかなかったんです。」
「そうですよね、ビックリしますよね・・・ええと、分からなかったらいつでも話を止めてくださいね。今回の汎発性腹膜炎から起きた敗血症という状態では、ありとあらゆる困ることが起きます。炎症によって、身体の中にはサイトカインというものが沢山出て全身が菌と戦う臨戦態勢に入るんですが・・・あ、サイトカインってのは身体の危険をあちこちに伝えるものですね、白血球とか免疫系のお仕事するものに警告するんです。・・・で、同時にこれで血管の壁がすこし緩むんです。ゴム製のホースが、目は詰まってるけどやっぱり漏れちゃう布製のホースになるくらいの感じです。ここまで、大体大丈夫でしょうか。」

この外科の先生は最初からA4の白紙に急性胆嚢炎+胆汁性腹膜炎+敗血症、と書き込んでくれていた。そこに人間の絵を描き、どこに胆嚢があるかを描き(描き慣れているのか、簡略化されてるけどえらく上手だった)、そこから身体全体に細菌が拡がる様子を付け加える。

「で、目の詰まった布製ホースもちゃんと血を流すには使えるし血球くらいには問題ないのですが、水とかバイ菌は染み出てしまうんですね。」

絵の中に管を描き、水が漏れる矢印を先生は加える。

「小林さん、あ、お父様の小林康志さんが挿管された理由は、血液の酸素濃度が下がって血圧が下がってきたこと、つまり敗血症が進行して血管の外に水分が逃げ出して悪さをしているってことが考えられたからです。いろんなことが一気に起きますが、とにかく酸素が身体にいかない、血圧が下がる、の2つは大変なことでした。」

ああ、だからすごい勢いで説明されて、同意書のサインを求められたのか。

「幸い土曜日で外来とか予定手術がなかった上に、昼間で人手もありましたので比較的迅速に対応できました。胆嚢は炎症で穴があいて胆汁が漏れ出るほどでしたが、全部無事に取り除いてお腹のなかも十分洗えました。術後は血圧も薬に反応するくらいには落ち着きました。しかし・・・」

え、しかし?

「まず’布製のホース’状態になってしまった血管のために、外に逃げ出した水は肺の中にも溜まっています。これが呼吸状態をかなり悪くしていて、現時点でコントロールしたいことのひとつはこの呼吸の状態です。」
「・・・あの、それは手術とは関係無い事が起きてる、ってことですか?」
「手術の前からあった、炎症の拡がりがまだ影響しているということです。小林さんの今の問題はおなかの中の、いってみれば局所の問題から、全身に回ってしまった感染コントロールと、命に直結する呼吸や循環動態というものをコントロールするところに移った、ってことです。ここまで、大丈夫ですか?」
「あー・・・はい、多分」

先生はまた、紙に「問題点 局所→全身」そのしたに「感染(敗血症)・呼吸・循環」と書き入れた。

「だから敗血症をおこした細菌には抗生剤という戦う武器を点滴で入れています。呼吸は人工呼吸器やお薬で、循環動態、つまり血圧は昇圧剤などでお父様の回復のお手伝いしている、と。」
「スイマセン、分かんなくなってきたんですけど父はまだ相当悪いんですか?麻酔が覚めたら目が醒めるんじゃないんですか?」
「油断はできないという感じです。今、小林さんは麻酔薬で眠ってる訳じゃないんですよ。その薬はとうに切れているはずなので」

びっくりした。手術したらよくなる、麻酔が切れたら目が醒める、と思っていた。

「まとめるとですね、手術で胆嚢のほうは上手く取れました。で、その胆嚢炎が引き起こした炎症の中で 全身に及んだ敗血症というやっかいなやつと、今戦っているところです。」
「はあ・・・えーと、じゃぁ菌に対する薬が効くまで待つしかないと?」

先生はちょっとだけ頷いた後、一息置いた。

「実はもうひとつ分かったことがありまして。どうやらお父様はもともと糖尿病があるようです。多分ご存知なかったんですよね、HbA1c(ヘモグロビン・エー・ワン・シー)という値が高かったんで糖尿病ありと判断しました。この数値は比較的長い間、少なくとも数ヶ月にわたって血糖値が高めであったことを示すんです。」

先生は手許に図解してくれていた紙の、右上部にあった余白に 糖尿病、と書き○で囲った。となりにはHbA1cという文字とその数字が並べられた。

「もしかしたら糖尿病だって事、小林さん知らなかったかもしれませんね。なにかお薬飲んでいらっしゃるとか聞いてませんか。」
「はぁ・・・薬とか持病とか聞いたことないです。健診とか受けるヒマがない、って父はいつも言ってました。」
「そうですよね、自営業でお忙しかったらご自分の時間よりお仕事、ってなりがちですよね。でもですね、糖尿病って・・・今回みたいな大きな感染症とかあるとき、ちょっと厄介でして。いや、もしかしたら糖尿病があったから小林さんの場合、胆嚢炎からさらに酷くなった、なのかもしれない。卵とニワトリどっちが先だ、って話を今しても仕方ないし憶測にすぎないですが」

絵の中の糖尿病の言葉から大きな矢印を、身体の絵の方に向けて先生は描き足した。敗血症、血圧、呼吸と、先に書かれた言葉と並んだ「糖尿病」という言葉が、なにか不気味な存在感をもって見える。

「とにかく結論からいえば糖尿病があると感染コントロールが付けにくいんです。今のお父様の状態はそれで、昇圧剤や抗生剤、いろんな薬剤でこちらのできる限りの加勢をさせていただいているんですが、なかなかバイ菌による炎症の勢いに追いついていません。」

しばらく誰も口を開かなかった。きっと俺の理解がついてくるのを待ってくれているのだろう。多分俺は相当混乱した顔をしていたに違いないし実際、頭の中はぐるぐるして、目の前に描かれた絵や言葉が揺れている。

「つまり・・・父は、どうなるんですか。」
「現時点では何とも言えません。重症ではあります。お父様の小林康志さんの意識はまだ戻らない状態だ、としか言えませんし、いつ意識が戻るかは全身の状態がどれだけ頑張って細菌に勝っていけるか、というあたりにかかっています。血圧を上げる薬もまだ、切ることはできません。」

先生が、ここまでの絵や言葉を書いてきた紙をすっとこちらに出してくれた。敗血症、血圧、呼吸。今先生は何とも言えないと言ったけれど、車や機械のことしか分からない俺にだってわかる、今の父さんは大分ぎりぎりなところを歩いているんだ。

もらったその紙は折りたたんでポケットにいれて、俺は会釈をしてその部屋を出る。そのままとなりの大きな自動ドアを抜けて、手を洗い、帽子とマスクとガウンをつけてICUに入ると、看護師さんが父のベッドの横の椅子にどうぞ、と言ってくれた。それに腰掛け、布団の外にでている父の手を触った。いつもは力強くて、そして熱いと思うくらいの父の手が、今はひんやりとして力なくそこに置かれているだけになっている。ぱっと見には、浅黒くて大きい手はいつもと同じなのに。ねぇ、爪の間にこびりついた機械油がそのままだよ、父さん。

「父さん・・・手術、上手くいったって」

小さな声で話しかけるけど勿論父は答えない。呼吸器に合わせて布団のかかった胸の辺りがうっすら上がったり下がったりする。ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぷしゅー、と言う機械の音のなかで、もしこのまま父と一言も話せないままになったら、とも考えてみようとしたが、頭が全く働かない。

点滴のせいなのか、さっき聞いたように「布製のホースみたいになった血管」から水がしみ出しているせいなのか、父の顔や手は大分浮腫むくんでいる。急にいたたまれなくなって、さっき来たばかりではあるけれど俺は立ち上がって看護師さんに頭を下げると、ICUの外に出た。あそこに横たわっていたのは父だけれど父じゃなかった。意識がない、というのは、意識の部分が身体から抜けてどこかに浮き上がっているんだろうか。そんな父の側は居心地悪く、話しかけても人形に話しかけているみたいでいたたまれなく、俺はすぐに席を立ってしまったのだ。
とりあえず家に帰ろう。一晩寝たら頭の中もすこし落ち着くかな。明日の朝福田さんに少し話を聞いてもらおう。

その日、タクシーで実家まで帰って俺はそのまま倒れ込むように自分の部屋の布団にもぐり込んだ。でも疲れていると思ったのに、頭の中には今日聞いた話や浮腫んだ父の手、慌ただしい救急室とただ待つしかなかった手術待合室の薄い水色の壁がぐるぐると回って、なかなか寝付けなかった。


↓ 第3話


サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。