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隣り合う死を考えることで見える「生きること」

日本時間では今日は12月18日なので、こちらの本がでる日だ。知っていたのだけれど、文章が掲載されることになった砂男さんのnoteで思い出した。(アイコン表示されるリンクが多いと読みにくいのでいくつかは通常リンクだけ貼らせて頂く)

西先生がお忙しい日常で録音されたり記録されているnoteも面白いのでおすすめしたい。お時間のあるとき聞いていただくとか。

私が砂男さんの文章を読んだのは、多分このときが最初だったと記憶しているのだけれど、「ドナー」(の有無)という患者さんの命に直接関わる立場のことを「ドナー経験」として書かれていたのがとにかく印象的だった。


自分の話になるのは恐縮だが、私達夫婦は医療者なので一応「そういう場面」を普通の方より見てきている。特にオットはアメリカの集中治療医という立場上、かなり高頻度でご家族に「治療継続するかどうか」を話しているんだろうと思う。いや確認したわけではないのだけれど、でも医療費が高額で自己破産の4割強が医療費のためだったアメリカでは(スミマセン、最近のデータは知りませんがこれがオバマケアが立ち上がろうとした根幹です)ある時点からは「これ以上の治療は無駄」というところから話が始まるのかもしれない。
もちろん、無駄、なんて言葉は使わない。でも「結局助からない」くらいの言葉は使うと思うし、私が通訳で立ち会ったご家族は担当の集中治療医にそう言われていた。「ご本人の苦痛が長引くだけで、ご家族の声は聞こえているだろうが目を覚ます確率は限りなく無いに等しい」みたいに。

いきなり 大切な人の死という現実を受け入れることは、医療者であってもなかなか出来るものではない。だから「家族の気持ちがおちつく」までは最善を尽くしながら最適な、そして出来るだけ早い時点で「選ぶ時間です」を伝えるのもプロの見極めになる。考える時間、手を握って目を開けない人のこころを慮る時間こそが一番大切だから、正解があるとすればその時にしか導けないから。


「心残りのない」見送りなんて出来たひとがいたら 本当に亡くなったご本人もご家族も幸せだと思う。そう思うくらい、現代医療の水準は高く、でも本当の意味で万能ではない。

もうひとつ、私自身の経験した見送りの時の話をかいつまんでさせて欲しい。
数年前に私の母の末期癌がわかったとき、医師でもある家族、つまり父、長女、そして私(および私達姉妹の医師である伴侶達)は「告知し、出来るだけ自然のままに」見送る方針を決めた。医療者ではない私のもう一人の姉と妹も同意してくれた。出来たらそのまま自宅で見送りたい、そんな形で。(ちなみに父と次女夫婦以外、みな遠隔地に住んでいた)

だが実際に母に付き添っている姉は本当は「自然経過」を受け入れるストレスに耐えられなかったのだろうなと思う(し、それを任せたことを今も申し訳なく思っている)。母が亡くなる2ヵ月前 その姉と父とが強いストレス下にあったとき、見舞いにきてくれた妹と医師でもある義弟(とはいっても私より年上)が勧めてくれて、急遽母のことを父の勤める病院に入院させることになった。ある意味「決め事」を翻したわけだ。

助ける術のないままに患者さんと向き合うのは並み大抵のことではないから最初の方針とは違って母を入院させることになったことを、勿論責める気もないしむしろそのときの妹・義弟の勧めに心から感謝している。それにそのおかげでアメリカに住んでいた私達も母の最期に立ち会えたのだ。
実の娘達と孫達・親族に囲まれ父に肩を抱かれたまま逝った母、そして私達家族は、本当に有り難いことにほとんど「心残りのない」別れをすることができた。

正解はそれぞれの家族や大切な人の中に、しかも「そのとき・その瞬間」にしかあり得ない。だから誰かの最期の時には「見舞いにも来なかった(来ることが出来なかった)親族が一番文句を言ったり医療過誤を疑う」ということがよくおこる。そのご本人の、あるいは自分だったらという大事な「生を考える時間」をその場で経ていないからだと思う。


今も、医師として自分の家族の死期は出来るだけそのまま、と思うし、本人が望んでいたら臓器提供もOK、とは思っている。けれど母のときに私達「医療者家族」でもおこったように土壇場で意見を翻す可能性はあるし、私がまわりが引くくらい大泣きして駄々をこねるかもしれない。今の私がおちついて考えられるからといって、その時もそうであるなんてちっとも思っていない。

でも、だからこそどんな人にも「自分事」で考えておいて欲しいと願うのだ。自分が、身近なひとが、土壇場で意見を翻すであろうことも良しとしながら考えて欲しい。
それはきっと、どう生きるか、どう家族や大切なひとと向き合って、自分の責任で今を生きるかに繋がるから。

私もこの本を日本から取り寄せたいと思っている。

サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。