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正しい、悪いなんて気のせいだ

3ヵ月連続投稿チャレンジ、18日目。・・・って、厳密には24時間間は空いてなかったり空きすぎたりしてますが。いいのだ、続けることに意味がある。あはは。

今日はスピリチュアル、という方面のはなし。

私は無信教です。無神論者atheist、じゃなく、
英語で言うならI do not belong to any particular faithですね。
神様はいる。スピリットもいる。
そのほかのエネルギー体もいる。
だけど私の人生の主は私一人だ。そんな感じ。

私には私自身がわかってると思う世界があって
どの宗教にも理解出来るところがあるので
これ「だけ」が正しい、とは思わない、ってことです。

ところで
以前「エンジェルナンバー」とかオラクルカードとかで
世界的に大人気を誇ったドリーン・バーチュさんが
キリスト教信者になったと ちょっと話題ですね。

日本語サイトは見つからないんですが(翻訳するとねぇ、翻訳者の意図が乗っちゃうからねぇ・・・)
ビデオで彼女が言ってるのは

「キリストの姿が見たい、と願った。そうしたらまさに、
言葉はないけれど 胸から光り輝く、こんな絵のようなキリストに会えた」
「もう、キリストに恋したんです。
キリストの愛は、これまで誰がくれた愛よりも
深くて大きかった。」

そんな話。

  誰でも神さまと直接繫がれる。

それは私も賛成です。でも

  アッセンデッドマスターや天使が話しかけることはない

・・・そこはよく分かんないなぁ。
人間、視覚有意(彼女は小さい頃からそうだったらしい)なひとも、
聴覚有意なひとも、
嗅覚であったり触覚であったり、
それらの感覚の微妙な混合系のものが有意な人もいるし。

ただ、
「そういうところに悪魔のささやきが入り込みやすい」は
よく分かります。


まず、そもそも論で悪魔は本当に全部悪いのか。
人間界の、あるいは「現時点で」悪とされることは排除されなければいけないのか。

個人的にはそんなことない、って思います。

人間は経験し学び、成長する(変化する)ために
この世界にいるとしたら
悪い、と言われることの方が 学びは深くなったりします。
悪いことは全否定されることではなく 
その後 その人がどう理解し、次の選択をどう選ぶか、こそが大事で。

人間は「選択権」というスゴイ許可証をもって
この世界に生きています。

悪魔、という話をするなら
私は、そのひとが「選ぶ」ことに
ああするな、とか、やめとけ、という言葉を発する
見えない存在がいたらそれを疑ってかかります。

だって 本当の意味でバックアップしてくれる存在、サポートさんたちなら
イタイ思い、コワイ思い、下手するといのちに関わる事も
そのひとの「魂」には大事なコトと知っているし
本人の選ぶことに 気持ちがぐらつくような発言はしない、って思う。

未来のかたち、には
沢山のその人の選択、周りのひとの選択、が関わって
ある程度の中継点(ひとつではなく、いくつも)があるように思います。

どの中継点を いつとおるかは
それらの「本人含んだ 関わる人達の」選択に拠っていて
ときには痛く、ときには辛く、ときには思いがけず爆笑したり
とにかく、「サポートさん」だったら 
立ち上がれなくなるような最悪だけを避けることができるように
こっそり動いてくれると思うんです。

イタイ思い、苦しい思いをあなたがしていても
その後のあなたの選択が 大きく魂を磨くとわかってるなら
多分 止めることはないでしょう。

だから「こうしなさい」「それはやめなさい」と聞こえるなら
私はかなり疑ってかかります。
私の決定につまらない横やりを入れるな、と
多分 心の中で怒ってます。

ドリーンさんの話だけじゃなく
確かに いろんなところで「悪魔」と呼ばれるものは
いつも真横にいると思ってます。
私達の人生に いつも「死」がとなりを歩いているように。

でも選ぶのは あなただけです。
アッセンデッドマスターや天使だって
あなたの選択したところで応援してくれる、そんな存在のはず。

例え話ですが なにかを行動しようとしたら
「木の枝」が目の前におちた、という現象を

「やめとけ、というサインだ」と受け取るのも
「がんばれ、っていわれてる」と受け取るのも
「気のせいだ」と気にしないのも

全部あなたの選択権です。それに良いも悪いも無い。


ドリーンさんには彼女なりの
振り子の両極のような世界をみた経験があるのでしょう。
だから 彼女の言葉はとても胸に響くし、彼女の本は嫌いじゃなかったし
実際、上の動画をみて私はとてもあったかい気持ちになりました。
世で言う、神の愛を感じたときの暖かさ、ですかね。
本当のことから出る深さ、でしょうか。

一方で

美しいだけの世界より 
ごった煮みたいな世界こそが好き、と思っている
私も居るんです。

ここに使った写真のように
雲があって、不安になりそうな暗さがあるから
残照が照らし出す神々しい場所がある

すべて明るくても美しいけれど
それとはまた全然違う美しさ。
人生だって いろんな事があるから素晴らしいとも言えるんじゃないかな
平坦で穏やか、ばかりだったら
つまんなくなっちゃうんじゃないかな。




サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。