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ポルトガルの財力の見せ方に、ちょっと辟易したこと。〜ポルトガル家族旅(24)

さて、エンリケ航海王子像の目の前にあるボルサ宮殿、いちばん近い英語のガイドツアー(当然だけどポルトガル語、フランス語のツアーもあるので英語のものは2時間おきくらいになる)を予約しました。1時間ちょっと時間が出来たので、前日すっ飛ばした「カーザ・ド・インファンテ エンリケ航海王子の生家」を観に行くことに。

前日、街の小路に突如「お城の外壁」が現れてびっくりしたところ。マクドナルドの赤い建物のすぐウラがエンリケ王子の生家の博物館。
元々は1325年にアフォンソ4世の命により倉庫・通関だった建物を14世紀頃から改築・増築していって、やがてジョアン1世と妻のランカスター公女フィリパが住んだということ。街の変遷、建物の変遷と当時の街並み模型なんかも見られます。
「見るものはない」とか書いてる人も居るけれど、英語が読めるなら中世の壁が残り、それらに関しての説明もあり、実は結構なボリュームです。
個人的に興味深かったのはタイルに関しての展示。時代、場所、流行なんかで特徴があるらしい。そういえばどのタイルにも見覚えあるし、タイルにも流行あったのか!(当たり前だけど)という驚きも。
拡大したら読めるでしょうか・・・本当にいろんな時代背景があって、これまで見てきたタイルとそれらの建物のいわれとかを思いだして「なるほどねぇ」と。
そして王様が住んでいた頃作られたらしいモザイクの床。アート文化としてコニンブラガの遺跡(2-3世紀のローマ帝国時代のもの)にあったような、こういうモザイク床はポルトガルに残っていた、ということでしょうか。
遺構にもいろんな時代のものがあって、増築・改築されたのがよくわかります。あちこちに図説があるので、時間と英語を読む気力があれば(笑)面白いと思います。
そして後(中世)にこの建物は「造幣局」mint として使われていたんです。

博物館のなかはポルトガルが植民地を開いて行ったこと、半島戦争時代にブラジルに王家が逃げていたこと、その後の金の産出からブラジルの独立のことなども記されていて、(元気だったら)しっかり読みたい内容でした。←後述しますけどこの頃から私もお腹がちょっとだけ調子悪くて。

こちらの階段、ドアなどはそれこそ王子が産まれた時代のものと 造幣所として使われた時代のものが入り交じってはいるものの、長い間使われていたようです。
なかなか興味深い博物館でした。そろそろボルサ宮殿(左の建物)ツアーの予約時間だー、ということでみんなでそちらに向かいますが・・・・

実はこの前後から家族みんなに異変が。私もお腹の調子がイマイチ(まぁ持病を考えるとそういうことがあってもおかしくない・・・という程度)だったのですが、ボルサ宮殿ツアーの前ごろから 息子がひどい吐き気とお腹の痛みで真っ青に。頼み込んでツアーの前に彼だけ入れてもらいトイレに行かせてもらいましたが・・・

ツアーのひとたちの集合場所の最初の広間。既にすごい場所。
商工会議所としても長く機能していたらしい雰囲気を感じる景色。でも装飾がとにかくすごい。
ポルトガル王国華やかなりし頃のものでしょうか、いろんな紋章がついています。
そしてツアーが始まる(息子は戻ってこない・・・)。どの部屋も商工会議所というにはあまりにも贅沢じゃないですか?な部屋ばかり。
階段をあがったところの壁装飾は、マヌエル建築からの流れを感じます。王宮ホテルなんかにもこんな感じの、あったよね。
説明を聞きながら会議場(ここです・・・え、っていう装飾だけど)なんかも見て回り。(もう息子はツアーに入れない体調らしい、と私達も諦めた)
商工会議の議長さんが使ってたもの。すごいな・・・銀細工にガラス?!
議長さん執務の部屋(だったと思う)
ここで既に、天井なんかの装飾が派手だと思うんですが。。。
重要なことを決める部屋になったらもっとすごい。
歴代議長の肖像画も飾られてる。しかし天井の飾りの豪華さよ・・・・やっぱり「お金をもってるひと」が政治をしたんですね、そしてその人達のための場所はお金をかけて力を示していたのかな。個人的にそういうのに全く興味ないのだけど、それが大事なこともあったのでしょう。
ボルサ宮殿は「迎賓館」でもあるのだそうで、その諸外国の要人をもてなすための部屋にこれから参ります。なんか先に入った人がざわついてるぞ。
ものすごくひろい、大広間はこの装飾〜!
足許は木目込み細工。
もともとの木材の色で模様をこれでもかと・・・
金色の世界。イスラム文化の影響、ローマ時代からのアート文化、大航海時代からの富や取り入れられた各地の芸術、ブラジルの金産出による富・・・そんなものが全部コミコミな感じ。諸外国にポルトガルの力を見せるための部屋という説明だったけど、まぁ確かに・・・個人的にこういうのは好きじゃないけどね、でも素晴らしいね(やや棒読み)。
確かにここまでの豪奢さをまとめ上げてるってセンスはすごい(←感心するポイントが違うだろ)
「隅々まで」という言葉はここにピッタリ、と思いました。
そして余談ですが息子に続いて寒気がしてきたと言ってたオットもトイレに消えました・・・
言ってイイですか?私の趣味じゃないがここまで細かな模様を見事に融合させるデザインをしたひと、天才だよ!私の好き嫌いとは関係なく、確かに上品にまとまってるもの。
どんだけ金ぴか・・・
ガラスもすごいんですのよ(棒読み)

一気に疲れが肩に乗りそうなほどの装飾でした・・・確かに素晴らしい。ただ、私の好みじゃないってことがはっきりわかりました 苦笑

そして息子がヘロヘロなかんじでやっと戻ってきて、オットもようやく戻ってきて「こりゃ、当たったな・・・」と。2日前の市場で興奮して食べた生ものでしょうねぇ・・・

とにかくそろそろ電車の時間。ホテルに預けてた荷物をうけとって、タクシー(Uber)で駅に向かいます。サン・ベント駅周辺は工事+すごい人出だったので、次の停車駅になるCampanha駅にしました。

大きな駅だけれど、サン・ベントみたいに観光客でごった返してる感じはなくて正しい選択だったと思う。
駅構内。明るくていろいろわかりやすい。
ポルトからリスボン(空港近くまで、なのでちょっと手前)をこの電車で行きます。確か割引きも大きかった時期で1等車両だったけど1人30€もしなかったはず。広くてよかったです。とくに男性陣がぐったりしていたので、1列シートの方に2人は座ってました。
こちらが家でプリントアウトしておいたチケット一部(QRコードを見せれば車内検閲はOKでした)。これをみると28.5€ですね。安い。
娘と私はお腹が空いたので駅の売店でカツサンド風なものを買いました。
美味しいけど、ケチャップとかマヨとかなにかをつけたほうが美味しかったかも・・・
オリエンテ駅で降りてタクシーでホテルへ。
少し元気になってきた男性陣が往復40分くらいかけてコンビニに買い出しに行ってくれました。ビールを買ってきてくれた。んまい。

そしてこの夜、娘が高熱を出しまして(コロナ禍明けとはいえ、ドキドキ)。一晩で解熱したけど、きっとみんなでノロウイルスかなんかをもらっちゃったんだろうなぁ。

夜のリスボンの温度が、ユタ州の自宅あたりの最高気温だよ・・・笑
翌朝8時まえに空港へ。この混雑・・・
今回はニューヨークのJFK空港まで4人一緒。その先は3手に分かれますが。

前の日から体調崩した(とくに消化器症状)男性陣は大分回復したものの、まだ食欲はあまりないみたいでした。娘は熱がさがったら元気になってた。

そして私はといえば、JFK空港に着く前くらいから軽く寒気がしてきて、JFKからソルトレイクシティまでの便で寒気にちょっとの発熱でふらふら。ずっと寝てたらソルトレイクシティに着いてました。

最後がみんなで散々だったけど、まぁ最後だったからこそよかった、とも言えるわけで。数年経ったらきっと笑い話のネタだから、まぁいいか。



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