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否定は羨望だったりして

何かをキッパリ否定する人がいる。

沢山いる。

自分が否定側に行く可能性をゼロだと思える故、

そして、羨望。

想像力不足でもあると思うのです。

何かを否定するのは難しい。
(自分の心身を傷つける物事への即否定は除く)


沢山いるからこそ、その否定について真剣に考える事も受け入れる事も必要ない。

私は誰かの作った常識の上で守られて生きてきて、

自分なりの価値観との擦り合わせで違和感を覚えて、

“常識は日々更新していくもの”となっている。

過去という変わらないものには執着しない。

変えられる今に少しの安心感を覚えられたら
しばし、心が落ち着くかなと思います。

今はまた直近の過去の自分について周りが評価しているとしてもそれは今だけ。

SNSの“これされやればよい”みたいな情報には驚いてしまう。

そんな単純な話ならみんなやってるのでは?と思う。

何事も多様性、単純な話は自分が自分をどうしたいのか、不安定でいたいのか、穏やかでいたいのか。

どちらが正解はない。

不安定は病気に繋がるかもしれないし、パフォーマンス力は落ちるかもしれないけど、生きやすい方がいい。

7月だ…よい1日が多いといいな。


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