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読書をするという呼吸-岸政彦さん『リリアン』を読んで-
岸政彦さんの新刊『リリアン』を読んだ。
数回、ページをめくって初めて気がついた。自分は小説を読む時、無意識にその小説にどんな音が合うかを考えながら読んでいる。
だから、『リリアン』のページを何回かめくって、この部屋を満たす音はどんなものが心地よいだろうかと考えてからページをめくる手を止めた。
この小説にたくさん出てくるジャズスタンダードじゃベタすぎる。何よりジャズの湿っぽさとか明るさとか重さが釣り合わない。
最初に流したのはmatryoshkaの『Laideronnette』だった。
matryoshkaが紡ぐ音は気持ちが落ちている時に聴くと、アルバム全体から漂う、深海の底から太陽の光を覗くような恍惚感が得られて心地よい。
しかし『リリアン』には合わないことにすぐに気が付く。
暗すぎるし重い。しかし同時にこの小説から滲み出る寂しさのようなものは暗さだけではないことにも気が付く。
大学生の終わりくらい、僕は仲の良い友人に「フィッシュマンズとThe Miceteethは10年経っても聞き続けている自信がある!」と啖呵を切ったことを思い出す。
もちろん10年以上経った今もThe Miceteethは大好きで、毎年空気が緩んできて、景気がピンク色に染まり始めたころに『春の光』を必ず聴く。
季節で聴く音楽を決めている節があるので、春になりきる前にThe Miceteethを思い出している自分に驚いた。そういえば『リリアン』の舞台もThe Miceteethが活動していたのも大阪だ。
そんことを思い出しながらThe Miceteethの『Baby』を聴く。
管楽器のメインメロディーはもちろんのこと、サックスのソロやベースのリフも口ずさむことができる。初めて聴いた18歳から、CDや音楽データが擦り切れるんじゃないかという心配になるくらいに聴いた。
そして、色々な思い出が目の前に現れてくる。楽しかった思い出も苦しかった思い出も全部、このアルバムの隣にあったし、そんな記憶たちもこのアルバムと一緒に過去に置いてきた。
この『リリアン』と『Baby』は息がピッタリと合うわけではないが、どこか暗い海の中に光を当てているような情景が似ているように感じた。
『リリアン』を読み終わったあとになっても、まだ息がピッタリ合う音は見つけられていない。
でもきっと、冬が息を潜め始めて春が近づいてくる2月の終わりに、この本を読んだことの意味は大きかったのかもしれない。
少し爽やかで少し切ない読後感に包まれながらこんな文章を書きたくなったのは季節が終わろうとしているからだけじゃないと思う。
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