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未知の知
覚悟とは
いつものように色々ともの思いにふけっていたところ、「覚悟」って、一般的に思われているようなものとは、本当はちょっと違うんじゃないのかなと思ったので、書いてみようと思います。
「覚悟」というと、ぐっと耐え忍ばなければならないとか、恐怖を乗り越えなければならないとか、なんだかそんな印象があります。
前回の記事で、私はこんなことを書きました。
怒りのエネルギーを腹に納め、ドスンと腹が決まりました。
言い換えると、覚悟が決まった、ということです。
でも、この時のことを思い返してみると、私は別に、ぐっと耐え忍んでいたわけでもないし、恐怖を乗り越えたわけでもないのです。
この時、私の中では、一般的に「覚悟」と聞いて想像されるようなものとは、まったく異なることが起こっていた気がするのです。
むしろ、まったく逆、というか。
言語化するのは難しいのですが、今のところ、こんな言葉がしっくりきます。
「未知の世界に心をひらく」
心の制限を解く、といった感じでしょうか。
叡智と繋がる
覚悟が必要とされる時というのは、自分のこれまでの経験や知識の中にあっては太刀打ちできない物事に、これから挑まなければならない時だと思います。
そういう時には、どうしても不安や恐怖がつきまとうから、知っているものや馴染みのあるものにしがみつきたくなるのだけれど、それらが与えてくれるものには、すでに限界がきているのです。
住み慣れたこの地には、もう何もない。
全部捨てて、未開の地へと踏み出そう。
そう心をひらいた時、ぐんっと視界がひらけて、叡智と繋がる。
そんな気がします。
叡智とは
すぐれた知恵。真理を洞察する精神能力。
実際には、全部捨てるわけではないのだけれど、「裸一貫」的な心の在り方が、叡智と繋げてくれる気がするのです。
書きながら、あ、そうか、と気づきました。
全部捨てるということは、ゼロになるということです。
ゼロになるから、ゼロポイントフィールドに繋がる、ということなのかもしれません。
ゼロポイントフィールドについて、私は、たいして知識もありませんし、説明もできません。
が、何もないところに全てがある、というのは、感覚的に、そうだろうなと思っています。
「未知の世界」と思っているものは、実は「既知の世界」なのかもしれません。
自分には何もない、と思う時ほど、実は、全部あるのかもしれません。
「覚悟」で検索していたら、こんなの見つけました。
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画がつよい…けど、うん、そんな感じ。
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