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全てうまくいっている気がして

不登校の男の子

受験シーズンも残すところあとわずかです。

中学時代を不登校のまま過ごし、高校受験を目指すも、なかなか一歩を踏み出せない男の子がいます。

先日、彼の個別指導の日に、お母さんも一緒にみえました。

受験当日の朝、やっぱりムリ、となってしまって受験できなかったそうで、今後どうすれば良いか…と相談されたかったのだろうと思います。

だろうと思います、というのは、話の本題に入る前に、話を聞いていた夫の目の前で、激しい親子喧嘩がはじまってしまったからです。

すれ違う親子

お母さんとしては、高校には行ってほしい。
高校に行かないなら働いてほしい。

彼としては、はっきりと口には出しませんが、お母さんの望むようなかたちの高校には行きたくない(行けない)。
働くこともできない。

お互いに譲れない気持ちがあり、どちらも引こうとしないため、話は平行線のままです。

落ち着いて勉強をする、相談をする、以前の問題が山積みだ…と見た夫は、親子でよく話し合ってからきてください、と言って、この日ふたりには帰っていただきました。

大なり小なり、こういうことはよくあることです。

親も子も、言いたいことを言い合っているようで、実はお互いが「本当に言いたいこと」「本当にわかってほしいこと」を言えていないために、何を解決したら良いのかわからなくなってしまうのです。

お互いが、自分自身の素直な気持ちに寄り添うことができたなら、コトはもっとすんなりと運ぶように思うのですが。

素直な気持ちほど、なかなか口にはできないものです。

長い間抑え込んでいる気持ちであればあるほど、口にするには勇気を必要とします。

一番身近で大切な人であるがゆえに言えない、ということもあるでしょうか。

第三者としてできることはあるのだろうか、と、いつも考えてしまいます。

考えてはみるものの

ここへくるまでに、第三者として、できることはしてきたのです。

ですが、そうしたアドバイスや提案は受け入れてもらえないまま、ここまできてしまったのです。

いつも不思議に思うのですが、何度も相談してくる人ほど、こちらのアドバイスや提案は受け入れず、結局自分の考えを貫かれることが多いです。

解決したい気持ちがあるのは本当だと思うのですが、本心ではまだ、その状態を味わっていたいのではないか。

そんな風に思ったりします。

ずっと悩んでいたいわけないじゃないですか!

なんて怒られそうですが、悩み続けていることで得られるメリット、というものもあるのです。

決断しなくてすむ。
行動しなくてすむ。
勇気を出さなくてすむ。
環境を変えなくてすむ。
それらに関する努力をしなくてすむ。

実は、たくさんあるのです。

経験にムダはない

とはいえ、これが悪いことだとは、私はどうしても思えないのです。

私だって、救われたいくせに、差し伸べられた救いの手を、ひたすら振り払って拒み続けたことがあります。

ただただ、閉じこもりたかった。
自分でなんとかできると信じていたかった。
そんな想いがあったように思います。

救いの手を差し伸べてくれた人たちには、本当に申し訳ないことをしたと思いますし、感謝しています。

でも、そうして自らどん底に落ちたからこそ、心底変わりたいと思えたのです。

あのとき、救いの手を、軽々しく受け入れていたら、どうなっていただろうか。

苦しみきる、悩みきる、という体験が不足したまま、なんとなく解決してしまったら、同じ問題の「やり直し」を、魂レベルで求めてしまっていたのではないか、と思うのです。

いつ解決するのか。
どのように解決するのか。

それはたぶん、本人たちの「本心」が知っていて、タイミングを待っているのだろうと思います。

第三者からしたら、やきもきさせられることもありますが、実は全てが、うまくいっている気がするのです。

できることをしたうえで、あとは「おまかせ」です。

うまくいきますようにと、ちょっと願ったりもしながら。

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