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絶妙に違う日本と韓国

韓ドラの魅力

私は、韓ドラ(韓国のドラマ)が好きです。

熱意や興味が「持続する」ということのあまりない私ですが、まれに持続することもあります。

中でも、韓ドラを見ることは、私にとっては珍しく持続していることです。

韓国語を読むのも聞くのも好きですが、なにより、韓ドラが好きです。

なぜそこまで魅了されるのか、一番のポイントをあげるとするなら、韓ドラは、人間の「感情」を、しつこく細かく丁寧に描いているところが素晴らしいのです。

私にとって、日々の娯楽としての「癒し」でもありますし、内省的な意味での「癒し」でもあります。

日常的にそれほど激しく感情を揺さぶられることのない私にとって、韓ドラは、自分の中の忘れていた感情を呼び起こす「鍵」のような存在です。

心の扉を、その鍵でもって、ぱかっと開けてくれるのです。

コロナ禍のおこもり生活において、韓ドラにハマる人が続出したのは、内省をうながす時代の流れを考えれば、自然なことだったと思えます。

それほど、韓ドラは、内省するにはもってこいのアイテムです。

様々な状況や立場の人間の人生を、ドラマを見ながら、疑似体験できます。

自分の視点だけではわかり得なかったことも、他人の視点を借りて、感情をともなって、「なるほど」と思わせてくれるというのは、実はすごいことなんじゃないかと思っています。

私たち日本人にとって、似ているけど違う韓国人が見せてくれる人間模様は、「絶妙なバーチャル体験」になり得ます。

日本のドラマと違う点は、当たり前ですが、ドラマが韓国語で展開されているということと、韓国人が演じているということです。

これは、絶妙なバーチャル体験をするにはとても重要な点です。

例えば、韓ドラをそのままのテンションで日本人が演じていたとしたら、「いや、こんなの絶対ありえんって」と、妙に現実的な目で見てしまうのではないでしょうか。

韓国語を話す韓国人が演じているからこそ、現実を忘れて没入でき、しかし、外見が似ているから、共感しやすいのです。

絶妙に違うから良いのです。

感情を抑え控えめに表現しがちな私たち日本人と、感情を抑えずあからさまに表現しがちな韓国人。

韓ドラによって、韓国人的人生を疑似体験することで、人間にとっての感情の重要性を再認識できることうけあいです。

根拠のない嫌韓感情

「嫌韓」という言葉がありますが、私も以前はなんとなくそんな感情を持っていた気がします。

その感情に確かな根拠があったわけではなく、やはりどこか、メディアに踊らされていたところがあったように思います。

そんな私の微妙な嫌韓感情は、ある生徒によってガラッと変えられてしまいました。

韓国のアイドル「東方神起」のことが大好きな女の子がいました。

彼女の東方神起に対する情熱は、すごいものがありました。

その一途さがちょっと羨ましかった私は、興味をそそられました。

どこがそんなに良いんだろう?

はじめは興味本位でしたが、彼らの良さを探っていくうちに、見事にハマりました。

これをキッカケに、私の興味はどんどん広がり、韓国の文化や言葉や人を知るための情報をあさる日々を経て、私の微妙な嫌韓感情は完全になくなりました。

世論に流されるべからず

この経験から、「知ろうとしない」ということの危険性を知りました。

知ろうとしないせいで、日々なんとなく見聞きしている根拠のない情報を、鵜呑みにしてしまうことがあるからです。

一言でいうと、世論に流される、ということです。

世論は世論として、いったん自分の頭で考えてみる、ということを習慣にしていると、世の中の「おかしさ」に気づくことができるようになります。

世界レベルの問題も、個人レベルの問題に置きかえて考えてみると、そのおかしさをより明確に指摘できるようになります。

ニュースで見聞きする日本と韓国は、なぜずっといがみあっているのか。

そろそろムリがあります。

末端にいる人間を、いつまでも舐めてもらっちゃ困ります。

だからといって、韓国ブームの流れを全肯定できるわけでもなく、そのムードについてもやはり、自分の頭で考える必要があると思っています。

真実は、外側にはありません。

自分の内側にこそある、と思いつつ、色々な流れを観察しています。

隣国が教えてくれること

他国のことを知ると、自国のこともよくわかってきます。

韓国を知ることは、日本をより知るためのとても良いキッカケであると、私は思っています。

韓国だけでなく、他の国についても同じことが言えます。

こちらの本、私はオーディブルで聞いたのですが、とても面白くて勉強になりました。

歴史的な考察の真偽は定かではありませんが、自分で調べたり考えたりするキッカケをいただきました。

絶妙に違う日本と韓国を知れば知るほど、両国ともに好きになってしまいます。

争いごとは、こうしたひとりひとりの些細な感情を呼び起こすことで、なくしていけるように思います。

まずは何でも、知ろうとすること、からでしょうか。

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