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僕が男らしさから降りるまで(~小学生期)

「有害な男らしさ」というワードがTwitterのTLを賑わせている。

そもそも「有害な男らしさ」とは何だろうか。個人的に考察したところ、「男らしさ」とされる事象のうち暴力性・支配性・非共感性といった、他者に悪影響を強く及ぼすものについて言われることが多いようだ。
具体的には「女性をリードする」「仕事に励んで妻子を養い、家事育児は全て任せる」「悩み相談をされたら解決策をまず出す」「泣いてはいけない」などである。

振り返ってみると、こうした「有害な男らしさ」は男性ならば幼児期から徐々に植え付けられ、学校等の集団コミュニティにおけるホモソーシャルに属することでますます増強され、やがて自我と一体化するのである。そのため自覚することが難しく、「有害な男らしさと言われても何のことなのか、何が有害なのかわからない」という人も多い(正直、僕も「具体的に何が有害な男らしさなの?」と自分に問いかけてもすぐに列挙できなかった)。

僕自身も、両親や親戚、学校教育等において「(有害なものも含め)男らしさ」を徐々に植え付けられてきた過去がある。
ただ、僕の場合は元々繊細な性格で「男らしさ」とは真逆であり、また男らしさに限らず大人からの価値観の押し付けに自覚的で、反発してきたからこそ、比較的メタ認知できたように思う。

男らしさの教育は多方面かつあまりにも強力であるため、前述の通り自我と一体化して植え付けられてしまい、普遍的原則のようになってメタ認知すら困難な場合も多い。もはや「洗脳教育」であると言ってよいレベルだ。

ただ、現代社会においてはこうして植え付けられた「男らしさ」による束縛が、女性のみならず男性をも苦しめているのも事実である。

その束縛の解消にあたっては、「どういう経緯で男らしさを植え付けられるのか?」を考えることが必要だと感じた。

処方箋になるかはわからないが、僕が受けてきた「男らしさ」に基づく教育の過程とそれに対して僕がどう感じたかを以下に記していく。

1. ~3歳

男らしさについては特に何も感じていなかった。

物心付く前なので記憶が薄いが、親と離れるのが寂しくて、保育園などでしょっちゅう泣いていた記憶がある。そして当時は泣くことを良くないことだとは思っていなかった。このように、今に至る感受性が強く繊細な性格は当時からのものであった。
ちなみに親にしつこく叱られた後、抗議としてマットレスの上で小便をしていたらしい。この頃から既にカウンター精神があったようだ。

当時の写真を振り返ると、車のおもちゃはあるのにおままごとのおもちゃはなく、既に「男らしさ」を植え付ける方針の下で育っていたようだ。

2. 4歳~保育園年長

男らしさの植え付けが本腰を入れて始まる頃。
家庭でも教育現場でもあらゆる場所で「男の子だから」「女の子だから」という言葉が多用され、「男の子は車や戦隊もの、女の子は人形やぬいぐるみやおままごと」といった具合で、遊びや色、持ち物はもちろん、おもちゃでも見るアニメでも徹底的な分離政策が進められる。まるで資本主義陣営と社会主義陣営のような構図になる。
それに反していたら、「男の子(女の子)は見てはいけません!」と干渉を食らい、矯正される。
まるで利き手の矯正のように。

当時の絵本や幼児向けアニメもほとんど男の子がヒーローで女の子がヒロイン
しかも内容も「勇気ある男の子が女の子を庇護する」といった内容のものが多く、今思えばこうした創作物の影響も大きかったと思う。多くの場合、幼児は純粋だからそのまま受け入れてしまうのだろう。

家庭でも両親から「男の子だから泣くな」と言われ(当時は同年代の男の子と比べて著しく泣くことが多かった)、父親からは「堂々としろ」「男らしく」「○○○○付いているんだろ?」等と言われ続けてきた。

また、親戚の集まりにおいて、当時同年齢だった女の子が親に戦隊ヒーローもののグッズを欲しいとねだったところ、親に「女の子はダメですよ!」と言われていた記憶がある。

保育園でも、具体的な内容までは覚えていないが「男らしさ」を植え付け、男の子と女の子を価値観的に分離させるような教育がされていた記憶がある。

これが典型的な「男らしさを植え付けるジェンダーバイアス教育」なのであった。

こうした「上から人為的に男の子と女の子を分ける」価値観とその風潮に違和感を感じていたものの、次第に丸め込まれてしまった。
こうした"教育の成果"として、反発はしつつも「男の子と女の子は違うものだ」という確固たる意識を持つに至ってしまった。
気がつけば青色が好きになり、車ばかりに興味を持っていた。教育によって。

実際、このサイトにおける保護者のセリフのNG例として書かれているようなことは繰り返し言われてきた記憶がある。

ただ、カウンター精神も発揮していた。「男の子でも人形遊びがしたい」と、シルバニアファミリーを買ってもらったりしていた。別に「男の子だから楽しめなかった」ということはなく、箱庭感もあって普通にまあまあ楽しかった。

こうして、この時期には教育によって「男の子」としての確固たる意識を獲得して自我と一体化するに至った。
すなわち「男」としての揺るがぬ性自認を得たのである。
また、うっすらと男性優位の意識も持ちつつあった。

ちょうど年長の秋頃から次第に保育園に行かなくなりつつあったが、今思えばこうしたジェンダーバイアス教育の影響もあったかもしれない。

3. 小学1年~4年

「なんかおかしくない?」と意識的に強く自覚し始めた頃。
ランドセルの色(男子は黒、女子は赤)然り、男子の口調然り。

自覚するにあたっては後者が大きかった。友達の言葉遣いが明らかに粗野なものに変わっていったのである。
一人称は「僕」から「俺」に変わり、「ご飯を食べる」「飯を食う」に変わっていく具合に。

一切教育されず、なんなら少し前まで「そんな汚い言葉は使ってはいけません!」と矯正されていた言葉が次第に浸透していく過程で、再び、そしてより強く違和感を感じた。
なぜなら、僕もこうした言葉は意識して使っていなかったから。

ここに至って、男らしい振る舞いや言動から意識的に距離を置くようになった。

奇しくもちょうど小学1年から不登校になったため、外部からの「男らしさ」の影響は小学5年時に登校再開するまで一切受けず、小学1年時のような純粋さを保つことができた。
これが後年に「男らしさ」をメタ認知する上で重要だったと思う。

ただ、親からはやはりジェンダーバイアスに基づく教育がなされ、反発し続けた。
「男だから泣くな」と言われても、自動的に悲しい気持ちになって涙がこぼれるわけなので、自分の理性で制御することは不可能だった。

4. 小学5年~6年

「今のままでは社会に適合できずに人生が終わってしまう」という危機感を抱いた僕は登校を再開した。
4年ぶりの学校生活で浦島太郎状態になるとともに、男女の違いが想像以上に大きくなっていることに驚愕した。

男子の言葉遣いや振る舞いは随分と「男らしい」ものになった。
女子については、言葉遣いや振る舞いにおいては大きな違和感こそ感じなかったものの、ノートに書く文字を飾ったり、筆箱にシールを貼ったりしていたのだ。この行為は小学1年当時にはなかったもので、理解できなかった。
物質的な「男女の分離」は随分影を潜めていたが、今度は心理的・内面的な分離が進んでいた。

その例として、小学1年当時まで時々やっていた「一緒に仲良くしよう」とか「手をつなごう」といったノリに対する忌避感が生まれていたことである。これにはすぐには適応できなかった。

時期的に第二次性徴期で、そうした以前のようなカジュアル感覚での男女の身体的接触(エロではなく表面的な)を良くないものとする風潮が生まれつつあったのである。

このように、これまでのノリで接していると「キモい」と言われたりもしたが、それ以前に4年以上のブランクがあったので、女子との接し方以前に協調性などの根本的部分で大きな差があり、クラスメイトとの接し方ですら随分と不器用な状態だった。
クラスメイト視点で見ると、当時の僕は頑固かつ独特すぎて周りも十分についていけていなかったと思う。

ただ、「今の価値観は自分のわがままであり、社会に適合できない"悪い価値観"である」という考えが少なからずあったので、少しずつ柔軟になっていき、クラスメイトとの交流も楽しむようになっていった。
しかしそれと歩みを同じくして、教師やクラスメイトの影響を受けることによって一人称が変わったりと、「男らしさ」を少しずつ獲得していったのである。

中学~高校編へつづく(後日執筆予定)

参考文献

「女らしさ・男らしさ」から「その子らしさ」へ

・太田啓子(2020)「これからの男の子たちへ」

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