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37年前の手書きの料理教室レシピ

連休の隙間
普段は使わない書棚の整理に取り掛かってみた。
一旦、全ての本を棚から出す。
色褪せたピンクのポケットファイルバインダーがあった。
「そこにある」「たぶん遠い過去の印刷物」
という認識があるだけで
いつもは開かない。
サイズはB5なのでなんとなく「時代」を感じる。

料理教室とGive Me Up!

かつて通っていた
料理教室のレシピをまとめたものだった。
月に2回通っていたのか。
当時は、ワードプロセッサーいわゆるワープロが出始めた頃。
途中から手書きがワープロ印字に変化しているのも
時代の流れがわかって « いとをかし »である。
計算すると37年前か。
料理教室で美味しく試食をして
帰宅するとBabeのGive Me Up!が使われたドラマが流れていた。
調べると斉藤由貴主演「あまえないでョ!」

この手書きレシピとBabeが結びつく自分だけの記憶である。

料理教室に通ったワケ

料理にはそれほど興味がなかったが、
当時の職場チームの女性が皆、「花嫁修行」したいと
盛り上がっていたので、わたしも通うことにしたのだ。
職場と同じ面々の料理教室の顔ぶれ。
先輩たちは「食べさせたい相手」がいたが
わたしはまだ音楽を聴くことが最優先だった青い頃だ。

仕事場で仲が良いことは奇跡的に幸福なことだ
やはり、「役割」はメインの「焼く・揚げる」などは
先輩優先で、下っ端のわたしは端役で
洗い物でエプロンを濡らしていた。
美味しかったし、楽しかったが
いつまで経っても揚げ物をする出番は回ってこなかった。

先生が作るレシピは、家庭料理だ。
月の一度、お客様を迎えた時のメニューがある。

ちょっと贅沢な手料理でお客様を迎える新婚生活を
わたしも夢見ていた時期があったな。ああ、あった。
そんな時期もありました。

37年前の手書きのレシピ

2024年にざっと見てみる。
洋風料理・和風料理・中国風料理の3パターン。
ちなみに現在多用される鶏ガラスープの出番はもちろんなし。
和出汁、中華出汁は先生が引いたものを使わせてもらっていた。

「お弁当」の献立
天むすと筑前煮と卵焼き。
もちろん天むすの海老の天ぷらから作る。
海老も冷凍ではない。殻から剥くのだ。
そうよね。お料理教室だもの。
そうか、そんなことをやっていたのか。

「豚肩酒蒸し」がメインの日は
クリスマス前だったのだろう。
手書きからワープロ入力へと変化している。
その豚肩酒蒸しに添えるものはアスピックゼリーだ。
アスピックゼリー。口に出して言ってみたい単語である。

参考 貝印様サイトより

我が人生、それ以来アスピックゼリーを作ったことがない。

サイドメニューがポテトとハムのグラタン。
ほかに「野菜のワイン漬け」だ。ピクルス液の半分をワインだ。
当時、試食しながら
こんなロマンチックなクリスマスメニューを作って
うふふと笑う新婚人生を夢見ていたのだ。

腰掛けOL:自認していた頃

「寿退社」が善き、佳きと言われる会社だった。
社会もそんなまだまだそんな風潮だった。

転職を機に時間的に参加が無理となり
料理教室を退会をした。
数年後に他力で結婚することになったのだが(お見合いという)
新生活を始めるにあたり、
このレシピを「大切なもの」として
必携バインダーとして荷物に忍ばせたのだろう。
今、発掘。
健気だったわたし。

健気だった

37年前のレシピをみて蘇ったのは
当時、一緒に仕事をして料理を習った先輩や同僚たちのことだ。
今思えば、学校の部活のようだった。
そして
健気な自分の気持ちがそこにあった。かなりくすぐったい。

先生の手書きからワープロ印字に変わった料理教室のレシピ。
今度、実際に作らなくては。
過去の健気だった自分と、現在の反省する自分のために。

鰆は何度も焼いたけれど木の芽味噌を作っていない。ごめんなさい先生。

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