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ポテトチップスなど食べず、内気でちょっとおしゃれな娘さんに気永に惚れなさい。

反省文「深夜にポテチを食べたことについて」

朝起きてふと床に目をやると、目線のその先にポテトチップスの欠片が落ちていた。そうだ、そうだった。ゆうべ、しかもかなり遅い時間にポテトチップスを食べてしまったのだった。自分の荒んだ食生活を、不意討ちのごとく見せつけられて朝から大いに反省する。

だいたいポテトチップスほど、「食べてしまった」の「しまった」というニュアンスが似合う食べ物もない。ゆうべだって、三、四枚食べたら封を閉めるつもりが、気づいたら一袋カラになっていたのだった。あすは休日という気の緩みもあったろう。そしてまさに、こうした気の緩みにすっと忍び入ってくるのがポテトチップスという食べ物なのである。

そうかんがえると、ポテトチップスはどこかタバコや、あるいはアルコールと似ている。と言っても、ぼくはタバコも酒もやらないので実際のところは判らないが、しかし何度も禁煙を繰り返すひとや二日酔いのひとが淡い罪悪感とともに口にする「吸ってしまった」「呑んでしまった」という感嘆と、ポテチを一袋開けた後のあの気まずさはとてもよく似ているような気がするのだ。しかも、この「しまった」という罪悪感が、むしろそれをより魅力的にしているのだから厄介なことこの上ない。

そういえば、いっときタバコやビールの自販機が槍玉に挙げられたことがあった。はたして、あれはどの程度効果があったのだろう、と思う。と同時に、巷にポテトチップスの自販機が存在しなくてよかったと安堵する。仕事帰り、深夜の暗がりを煌々と照らすポテトチップスの自販機があったなら、きっとかなりの人が吸い寄せられてしまうのではないか。想像するだに恐ろしい。

いや、しかし一番の「戦犯」はといえば、やはりなんといってもコンビニやスーパーなどなんでも揃えている量販店であるにちがいない。玉ねぎ一袋買うつもりがいつのまにかポテトチップスが、ペットボトルの緑茶を買うつもりが、気づけばカゴにポテトチップスの袋が入っているのである。人の目を盗んでいったい誰がこんなイタズラを!…… あ、俺か。といった無言のノリツッコミが、コンビニの店内では日に幾たびと繰り返される。

ドラッグストアもまた侮れない。大型のドラッグストアにおける品ぞろえは、いまやスーパーのそれに匹敵する。そのため、胃薬を買いに行ってついでにポテトチップスを買ってくるという、さながらマッチポンプのごとき事態すら生じるのである。もはや無間地獄ではないか。出家したい。

ところで、太宰治に「美男子と煙草」と題された小文がある。おそらく、戦後まもない頃に書かれたものと思われる。

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