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今週の日記|春に。

4月2日 幸福の内に閉じ込められたちいさくて透明な不幸のたね

春がこわい。そろそろ桜も散り、朝、おもてを見ると景色が一変している。いっせいに木々が芽吹いて、あたり一面がみずみずしい「緑色」に覆われているのだ。子どもの時分から変わらず、それがこわい。

冬のあいだ閉じ込められていた木々の生命力が、なにかの弾みで封印を解かれたかのように一気に溢れ出す。その過剰ともいえる生命力の横溢を前におののかずにはいられない。悲鳴をあげるような恐怖ではなく、それは、じんわりと厭な気分。不穏さ、とでもいうか。

ところで、ぼくにはそんな時期になるといつも引っ張り出して聴きたくなる音楽がある。

まず、シューベルトのピアノソナタ第13番。こんなにもみずみずしく穏やかな旋律なのに、同時に避けがたい死の翳(かげ)を引きずっている。

そして、チェット・ベイカー。生暖かい春の夜にチェット・ベイカーの声はよく似合う。こんなにも足取りは軽やかなのに、彼の声はどこまでも虚ろで、その瞳はなにもうつさない。

春を迎えるたびに繰り返されるこの感覚を、だが、ぼくはあまり口にしないようにしてきた。みなのウキウキした楽しげな気分に水を差すようで憚られるし、だいたい言ったところで誰からも共感されることはないだろう。子供心にそれを知っていたからである。

ところが、先日フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの「卒業式」という短編小説を読んで、もしかしたらトーベ・ヤンソンにならぼくが抱える春に対するこの複雑な感情があるいは通じるかもしれない、そんなふうに思った。

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