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トゥーランガワイワイ

マオリ語に「トゥーランガワイワイ」ということばがある。さっき知ったばかりだけど。

マオリ族といえば、たしかニュージーランドの先住民族だったはず。ハカ、ラグビーのニュージーランド代表が試合前に相手を威嚇して踊るあれが、たしかマオリ族の風習だったのではないか。

しかしトゥーランガワイワイ、なんだか意味もなく楽しくなってしまう響きではある。なんたって「ワイワイ」だからな。

ワイワイっていうのは、じつはマオリ語で「足」という意味らしい。へぇ〜。一方のトゥーランガはというと「立つ場所」、大きく言うと「大地」みたいな意味合いもあるとのこと。なるほど。

ということは、である。「トゥーランガワイワイ」とはみずからの足をもって立つ場所、つまり「拠って立つ場所」ということになる。こなれた日本語で言えば「居場所」である。

人間は、こと現代の社会にあっては、たったひとりで生きることはできない。自分もまた、知らず知らずだれかを支えている。そのように、生きるとはだれかによって生かされるという側面ももつ。

トゥーランガワイワイは、おそらく家族であったり自分の部落であったりとピンポイントで指し示すことのできる「ココ」であると同時に、そうした相互に支えあうことで「生きる」を成り立たせている関係性の網の目をも意味しているのではないか。

ひとの助けを借りないと機能しない「弱いロボット」を一貫して研究しつづける岡田美智男さんが、以前こんなふうに書いていたのを思い出す。

歩行は、ただ足の運動だけをいうのではない。片一方の足が着地し、もう一方の足が前に踏み出すためには足を支えてくれる「地面」が必要だ。さらに言うと、その地面にはそれが確実にじぶんの体重を支えてくれるという「信頼」がなければならない。

いわば、歩行とは足の運動と地面との協働であり、それを成立させているのは信頼なのである。

そうかんがえるとき、マオリ語のトゥーランガワイワイもまたたんなるじぶんが帰属するコミュニティーという以上に、信頼によって結ばれた関係性の確かさなのではないかという気がする。ただ「立つ場所」ではなく、みずからの「拠って立つところ」。そして、それはまた居場所というワードの本質でもある。


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