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地続きということ

少し早めに仕事を切り上げ、銀座に行った。「寄った」ではなく、この場合、距離的にも、また方向的にも「行った」と書くのが正しい。寄り道は、たとえて言えば仕事の後の延長戦。延長10回ウラの心境だが、わざわざ「行く」はダブルヘッダーのお気持ちである。その心持ちは、一見おなじようでいてその実ぜんぜんちがう。

そしてじっさい、わざわざ行くだけの価値が日曜や連休最終日の夜の銀座には十分ある。翌日が仕事のない日ならなおのこと。おおかたの店が閉まり、人影もまばらな並木通りやみゆき通りを闊歩するのはなにより楽しい。いや、ただ楽しいというより「愉快」と書いたほうがしっくりくる。

小粒ながら、ときどき「おおっ」と思わず声が出るような企画をやるノエビア化粧品のギャラリーでは、あすから土門拳が撮った藤田嗣治のポートレイトの展覧会が始まるらしい。飾りつけを終えた写真を、しばしショーウィンドウ越しに眺める。

また、道を挟んだ向かいの資生堂には「銀座生態図」と題した巨大なウィンドウアートが展開中だ。さながら、今和次郎による「考現学」の令和バージョンといった趣でワクワクが止まらない。昼間や平日だと、人目が気になってこうまでじっくり眺めるのは無理だろう。その点、「夜散歩」なら気兼ねは無用。宵闇にショーウィンドウばかり煌々と照らし出された中を歩いていると、なんだかまるで銀座全体が博物館になってしまったかのような錯覚に陥る。

そういえば、1930年に出版された龍膽寺雄の小説『放浪時代』の冒頭は、「ギルフィラン・ラジオ商會の飾窓(ショーウィンドウ)を飾り終えて、-金を受取って、いつもの様に曽我たちと、彼等の仕事場で落合うために、上野行の電車に飛乗ったのは、かれこれ9時を回った時分だった」とはじまる。主人公はショーウィンドウの飾りつけを生業としており、その主な仕事場は銀座である。夜9時前の銀座で、ひとつひとつ大小さまざまなショーウィンドウを「検分」していると、地滑りを起こしたぼくの想像力は昭和5年の銀座の街頭へとするする落ちていった。

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