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195.星新一の「未来」を生きている。

東京は梅雨寒である。気持ちのよい涼しさではないものの、とりあえず気温が低いのは助かる。マスクをしているのが楽だから。

ほとんどの昭和の小学男児と同様、ぼくも子供時代は星新一に夢中だった。長い小説は、イナゴや天ぷらそばや野だいこが登場する『坊ちゃん』しか読めなかったが、星新一はショートショートなので楽しく読めた。

なによりエヌ氏やボッコちゃんが闊歩する未来は、希有壮大なSFの世界とは異なり、もしかしたら大人になった自分が遭遇するかもしれない身近な未来、近未来の夢想譚として親しみが感じられるものであった。

それに、風刺や皮肉に満ちたブラックユーモアも、それが小学生の自分にどこまで理解できていたかはともかく、身近にある何よりも粋で洒脱だった。星新一のショートショートが、落語ミーツSFであると理解するのはずっと後のこと。じっさい、星新一が書いた落語はレコードにもなっている。

とはいえ、やはり当時の小学男児にヒットした理由はなんといっても物語のなかに登場する魅惑的なガジェットの数々であったろう。テレビ電話、パイプを通じていろいろなグッズが運ばれてくるボタンがたくさんついた機械、電気で走る自動車、食事をしなくても十分な栄養が摂れる赤や青の錠剤……。

子供のころ夢に見たこれらガジェットの数々も、しかし気づけばその多くが現実となっていることにいまさら驚かずにはいられない。オンラインで飲み会をし、インターネット経由で買ったものが翌日には自宅まで届けられる。ドラッグストアに行けば陳列棚にはマルチビタミンやさまざまな栄養補助食品が並び、気分よく散歩しているといつのまに音もなく近づいてきたプリウスに轢かれそうになるといった具合。

どうやら、ぼくらはすでに知らず知らずのうち星新一の描いた「未来」のさなかに生きていたらしい。そしていざ実現してみると、案外「未来」なんてつまらないものだという気にもなる。子供のころのあのワクワク感はどこに消えたのだろう?

その一方で、しかしやはりぼくらはいま、もうひとつ別の意味で星新一的未来を生きているという気がする。それは、あのピリッと辛いブラックユーモア的状況であり、もちろんその要因は新型コロナウイルスである。

見えないウイルスのため、すべての人がマスクなしでは外を歩くことすらできない世界なんて、まるで「星新一的」としか言いようがないではないか。このあいだも友人と話をしたのだが、どうせマスクをするのだからとちょっとした外出ならノーメイク、無精髭も気にならなくなったのは2020年の新しい生活様式と言ってよい。2019年には、まさかこんな「未来」がやってくるとは思いもしなかった。

では、この先の世界を星新一ならどのように予測するだろう? マスクが、パンツと同様つねに着用するのが当たり前となった結果、口という「穴」は心を許した相手にしか見せられないようなエロティックな器官となってゆくのかもしれない。

あるいは、だんだん退化(進化?)して、からだの露出していない安全な部分にもうひとつの口がつくられるのかもしれない。ヘソで食べたり、愛の言葉をささやいたりする未来。そういえば、腕にこぶみたいな顔ができる物語がすでにあった気がする。

数十年後、テレビで評論家が政治的軋轢から生じた世界経済の危機的状況について深刻な面持ちで「へそ」で語っている様子をみても、やはりぼくらは実現してみるとこんなものかとやけにつるっとした顎を撫でながら退屈に思ったりするのだろうか。

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