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【映画】窓際のトットちゃん/八鍬新之介


タイトル:窓際のトットちゃん 2023年
監督:八鍬新之介

2023年は窓際のトットちゃんで〆。各所で話題になっているのと、子供の冬休みも兼ねて鑑賞。大体この手のものは大仰でやたら感動を煽るものと判断して観るのを避けるのだけど、思っていたよりも品の良い造りだった。当然感動を煽り立ててる感もあったし、トットちゃんのキャラも不思議ちゃんが際立ってはいる。けれど今これをアニメでやる事の意義の方が強く伝わってきたのと、幻想的なイメージの世界の表現が素晴らしかった。黒柳徹子のインタビューにもある通り、もしこれを実写でやっていたらここまでの表現は出来なかっただろうし、もっとベタベタなドラマに終始していただろう。I.G.productionなど日本国内のアニメーターが集って作られた表現の豊かさと、戦時中の血生臭さと胡散臭さが子供の視点でしっかり捉えられていたのも大きい。
原作は読んでいないけど、家に本があったのは覚えている。引越しのタイミングで処分してしまったけど、映画を通じて改めてこういう物語だったのかと分かると、黒柳徹子のこれまでの活動が一貫したものだったのが理解出来る。小児麻痺を患った友人だったり、綿畑で強制労働に従事するアメリカの黒人の話だったりと生活の上で身近に触れた事柄に対しての実直さが伝わってくる。
戦時中という面でも大本営の欺瞞やそれに促される国民の動向、戦争によってもたらされる死や傷跡が画面に映し出される。一番顕著なのが自由が丘の駅員で、恐らく徴兵された駅員の後を継ぐのが女性だったりと、説明も無く人が入れ替わっていく。子供にはその理由が分からないのも、リアルな戦時中の姿を捉えていた。
黒柳家のような裕福な暮らしを営む人々でも、同調圧力によって引き裂かれ家まで破壊されていく。劇中の人物たちはリベラルな人々が多く出ていたが、戦争を経験したその時の若い世代ほど、終戦時に手のひらを返す矛盾と不条理に一番影響を受けた人たちだったはず。伝えたかったのは、総動員の呼びかけに応じる市井の人々と、それに疑問を持ちながらどうする事も出来ずに、今日明日を生きる姿勢が描かれていた。「火垂るの墓」の様な強烈な無情感はないけれど、今その時を全力で生きる子供達と、それを支える大人たちの生きる姿に胸を打たれる。

学校のある自由が丘や黒柳家のある北千束と大井町線。葬式を行った田園調布の駅舎の隣の教会、縁日があった洗足池。和光周辺の銀座の景色。自由が丘は僕の住む家からも近く、それぞれ日常で触れる場所でもある。戦時前、戦中の街の姿と今の街並みは大きく変わっているけれど、現在の姿と照らし合わせる時、時代を超えてトットちゃん達が生きた時代と重なり合う。
世界で戦火が広がりつつある最中だからこそ、この映画が今このタイミングで描かれた意義は大きい。単純な感動物語に終始せず、戦争が生み出す分断や痛みはしっかりと胸に刻んでおきたい。

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