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海外文化に触れるということ/Rock Magazineとミニコミ「英国音楽」とあのころの話

1978-1983と1986-1991 ふたつの時代

今月同じタイミングで羽田明子さんによるZine「Rock Magazine Akiko Hada Edition 1978-1983」と、小出亜佐子さんの「ミニコミ「英国音楽」とあのころの話 1986-1991」の2冊が出版された。
かつて商業誌だった「Rock Magazine」の羽田さんが関わった部分の記事をまとめたものがZineとして出版され、Zineだった「英国音楽」がDUブックスから一冊の本に纏まって出版されているのがなんとも面白い。

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「Rock Magazine」は1978-1983とあるようにポストパンクの時代真っ只中のイギリスで直に触れた記事やインタビューがまとめられている。最初のロンドンパンクから、ポストパンクにシーンが変わっていくのを肌で感じながら、ジョイ・ディヴィジョン、2Tone、モノクローム・セット、ワイアー、スロッピング・グリスルなど今では定番として語られているバンドや、映画「さらば青春の光」の公開とネオモッズの流行など現場の空気がパッケージされている。
ライブ会場やパフォーマンスなど、音だけでは感じ取る事が不可能な、当時のライブの様子などが写真とともに語られていた。
サイモン・レイノルズの「ポストパンク・ジェネレーション」や、トレイシー・ソーンの「安アパートのディスコクイーン」にもあったように、ポストパンクの終わりと言われている1984年よりも前の一時期の様子を伺い知る事ができる。


一方の「英国音楽」はポストパンクはとっくに終焉を迎え、MTV登場以降の第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンを迎えた後の1986年から始まる。オレンジ・ジュースやアズテック・カメラらネオアコ勢から、パステルズなどのアノラックなど80年代中盤から後半にかけてのUKインディーシーンの日本国内のファンによるシーンがどのように受け入れられていたのか、その一端を感じる事ができる一冊だった。イギリスに憧れを持ちつつ、集まった人たちがバンドを組んだりZineを作ったりと日本国内のシーンとして輪が出来ていく様の熱量がひたすら綴られている。
リスナー文化としての後の渋谷系の萌芽がどのように成り立っていったのかが、小出さんの視点で語られていて文書から追体験するような、そんな感覚を味わう事が出来た。ネット以前の不自由さもなんのその。そして本の最後にあたる1991年はUKよりもUSインディシーンに興味が移ってきているのも興味深い。この頃アメリカでは中々火がつかなったインディシーンが、ニルヴァーナのブレイクで完全に時代が変わる寸前に興味が変わってきていたのは、アノラックがKレーベルを通じてニルヴァーナに飛び火しているのをしっかりと受け止めていた証拠になっている。イギリスがスウェードとブラー、オアシスの登場で盛り上がるのはほんの数年先だったけれど、それ以前のシーンの流れがリアルタイムではどのように推移していたのかがよくわかった。

ミーハー上等!

この2冊に共通して出てきたワードが「ミーハー」。音楽性を紹介しながらも、アイドル的ミュージシャンに対して若干の後ろめたさの中で「でもなんと言われようが好きなんだよ」という姿勢はすごく好感が持てる。70年代から大きな盛り上がりを見せたファンクラブ文化や、大島弓子らから始まったクイーンやボウイなどをモデルにした美少年を扱った少女マンガカルチャーの延長にある女性ファンの熱気もこの頃までは強かったのがよくわかる。90年代後半を境にこういった文化がほとんど潰えてしまったけれど、アクティブな女性たちが集う場としての時代はもっと語られてもいいような気がする。野中モモさんの著書「デヴィッド・ボウイ 変幻するカルト・スター」でも少女マンガカルチャーについて語られていた。

少女マンガカルチャーの中の洋楽文化についてはこちらでも少しだけ触れられている。

海外文化に触れること

僕と同じアラフォーよりも下の世代と話をすると、海外文化への憧れを持つ人の割合の低さに驚く事が多々ある。90年代まではブリットポップやアイドルグループが乱立していて、イギリス文化に触れるきっかけは沢山あった。内容の出来不出来は別として。アメリカのシーンもグランジ/オルタナから、カート・コバーンの死の後ベックの登場もあって多様化していった。
音楽だけでなく、ビバリーヒルズ青春白書のようなドラマも海外文化への憧れを促進していたけれど、あまりにも現実と離れたものに対する希求は2000年を境に弱まった印象は強い。
それ以降もワンダイレクションや、24といったものはあったけれど90年代まであったイギリス/アメリカへの憧れは、Kポップや韓国ドラマに移行したり、よりドメスティックなものが好まれるようになっているのはご存知だと思う。
マスとしてのイギリス/アメリカ文化のパイは確実に減っている。
70年代の女性マンガカルチャーの中の洋楽文化は、情報が少ない中で雑誌に掲載された写真やインタビューからイメージを膨らませて二次創作的な表現を行なったことで広がったものだと思う。今やリアルタイムで海外の人と交流が出来る時代なので、時差もへったくれもない。タイムラグが生んだ「知りたい」という欲求が原動力となった文化がかつての海外文化への憧れになったのではないかと思うと、利便性は良くも悪くもイマジネーションをスポイルされてしまうものなのかなと日々強く感じている。

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