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【映画】ジョン・レノン 失われた週末 The Lost weekend:A Love story


タイトル:ジョン・レノン 失われた週末 The Lost weekend:A Love story 2022年
監督:リチャード・コーフマン イブ・ブラントシュタイン スチュアート・サミュエルズ

ジョン・レノンの繊細といよりも人間的な弱さ、駄目さ、いい加減さはいくつかのドキュメンタリーを見ていると自然と浮き彫りになってくる。ドキュメンタリー「イマジン」や「ジョン・レノン・ニューヨーク」など、ニューヨークに渡った後の生活や失われた週末については、基本的にヨーコ側からの視点で綴られていた。ジョン・レノンの実人生が語られる時、それらはどうしてもジョンとヨーコの物語であり、それを中心とした他者からの語りが肉付けされている状態である。本作では、ジョンの浮気が発端となった失われた週末と、トルバドールで酔っ払って追い出された事などよく知られている話をメイ・パン側から語るドキュメンタリーとなっていた。こういった語り口に触れると、今までのドキュメンタリーがいかにヨーコ側からの視点が主眼となっていたのかという点にも気付かされた。
ジョン・レノンの経歴については、これまで散々語られてきた一方で、失われた週末についてはどこか漠然とした印象が残り続けていた。それが何故漠然としていたのか。やはりそれはメイ・パンとジョンのふたりの日々であって、そこにはヨーコが不在だったからこそ、メイ・パンが語る内容は今まで知る事が出来ない一面でもあった。
いわゆる失われた週末のイメージから、メイ・パンはヨーコからジョンに当てがわれただけの存在としての印象が強い。彼女のパーソナリティは殆ど語られず、「イマジン」で登場しつつも多くのバイオグラフィーに書かれているように、ヨーコ公認で肉体関係もあった付き人程度という認識だろう。しかしNYのハーレム地区で育った彼女は、ティト・プエンテやジェイムス・ブラウンなどのレコードに触れつつ、プエルトリカンと黒人の中で、中国系アメリカ人としてマイノリティの中のマイノリティとして生きてきた出自は中々に重要な位置付けにある。(中国系移民の母親がコインランドリーを営んでいたという話は、エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスそのものでもある)
ヨーコからの依頼で、無理やりジョンの面倒を見ることになったメイ・パンだけれど、当然彼女はその対応には困惑しショックをうける。しかしその一方で、だらしなさと紙一重の人ったらしのジョンの人懐っこさも表面化してくる時期でもあった。
結局ジョンとメイが肉体関係になり、初めてセックスした翌朝に書かれ、後にGoing down on loveとして発表される曲が弾き語りで挿入されたり、リアルで親密な日常が描かれる驚き。LAでの生活も、ジョンとふたりの生活だけでなく、ヨーコによって繋がりを絶たれていたジュリアンとジョンの関係を取り持つメイの関係性もこれまで語られてこなかった。ジュリアンだけでなく、シンシアとも再会し共にディズニーランドに行って人々に紛れるジョンの姿は、気付かれることない自由を満喫していた。結果的にその自由さが命を奪うきっかけにもなってしまうのだけれど…。結末を知っているだけに、「先の長い人生」や「50になったら」、80歳になった時のメイとの暮らしなど、皮肉にも40歳を超えた先の人生の"もし"を想起せざるを得ない。
あらゆる"もし"がこのドキュメンタリーには含まれていて、一番の大きなトピックはポールとの再会のその後だろう。ビートルズが再結成しなかったのは、解散が裁判で決着しようとする最中であり、まだビートルズの幻影が拭いきれない状態であったのは、調印のための状況がまさにこの映画のワンシーンで登場する。そしてスティーヴィー・ワンダーを交えたセッションが行われたのは有名な話だが、「Venus and Mars」レコーディングのためにポールは、ニューオリンズのアラン・トゥーサンのもとを訪れるが、ジョンもそこに参加しようとしてポールとの共演を望んでいた。ジョンは「Walls and Bridges」でニューオリンズのリー・ドーシーのYa Yaをジュリアンとレコーディングしていて、この映画で語られる事との縁を感じさせる。もしこのレコーディングに参加していたら、アラン・トゥーサン(もしかするとミーターズも?)が参加したアルバムが作られたかもしれないと考えると、何が出来上がるのか想像してしまう。
そしてもうひとつの"もし"はメイ・パンとの生活が続いていたらという点。ここでの一番の驚きは52丁目のフラットで同棲していた暮らしの慎ましい日々だった。ダコタハウスや白亜の家とは比べ物にならない質素なもので、まるで二十代の若者たちが夢を追い求めて暮らすような生活をしていた。部屋までの長い階段をポールとリンダが登る様子が写真に収められていて、この時期のジョンとポールが想像以上に近い存在だった事を伺わせる。たまたまタクシーで隣り合ったジョンとポールが窓越しにハイタッチする場面など、ふたりの共演の可能性は思っていた以上にあり得た事だったという事実に驚く。
そして有名なNew York Cityと書かれたシャツを着た写真が、このフラットの屋上だったというのも驚きだった。

「Walls and Bridges」にクレジットされたUFOの件もこの屋上で見たという裏話なんかも。
自身のアルバム以外でもボウイの重要作「Fame」や、ハリー・ニルソンの「Pussy cats」、リンゴの「Goodnight Vienna」など短い期間に活発に活動出来たのも、メイとの生活がヨーコとは違った状況だったのを物語る。だからこそ、1975年以降の活発な活動のジョンがどうなったのかは、どうしても想像してしまう。というのも「Walls and bridges」がある種の新境地を自身のプロデュースで成し得ながらも、どこか音楽性に限界を感じていたように僕は感じていた。特に「Mind Games」辺りから自己模倣に埋没しかけていて、作家として目新しさが目減りしているようにも感じられたからというのもある。しかしメイとの生活の上でのジョンを見ていると、そうではないのだなと考えを改めた。ただその反面、ヨーコのマインドコントロールやショーンの誕生が活動休止へと至ったというのが、実情だったのではと思われる。
まあこのドキュメンタリーでのヨーコの重圧は、悪漢としてどうしても映ってしまう。
結局のところ、ジョンはヨーコのもとを訪れるために部屋を出て帰ることがなかった。もしヨーコと離婚しメイ・パンとの関係が続いていたら、銃殺される事もなく、生きながらえたかもしれない。ただそうなると、ショーンの誕生もなくなり、その後の多くが変わってしまうだけに、複雑な気持ちにもなってくる。ジョンとヨーコとメイの3人の人生の分岐点であり、周囲の人々の分岐点でもあったのは事実だろう。5年もの主夫生活はなかったかもしれないし、元ビートルズの4人の形も違ったものになっていたと思う。
婚姻関係や愛人というメロドラマ的な憎愛関係ではなく、もうひとつの家族の形があった事実が寂しくも楽しい過去の出来事として綴られる。ジュリアンとシンシアとメイの信頼関係が長きに渡って続いていた事。エンドロールでメイはシンシアに宛てて「まだ語れる事はある」と書き記していたのを見て、彼女が決意した事の大きさを感じ胸が熱くなった。
森泉岳土っぽい線画のアニメーションも雰囲気を掴んでいて、凄く好みだった。


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