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【映画】魂を救え La sentinelle/アルノー・デプレシャン


タイトル:魂を救え La sentinelle 1992年
監督:アルノー・デプレシャン

1991年。外交官だった父を亡くしたマチアスは、ドイツからフランスへと向かう列車内で突然身柄を拘束される。その後解放されてパリに着くと、マチアスのスーツケースの中には見知らぬ人の頭部が……。法医学の研究医である彼はこの頭部を分析し始めるが、そこには大きな政治的陰謀が隠されていた。

東京日仏学院 エスパス・イマージュ作品解説

画一的なジャンル映画に陥りまいとする作風というか気概を感じられたが、後から長編デビュー作と知り驚く。物語の大枠の主題としては、医学生が事件に巻き込まれるサスペンススリラーの体を取りながら、後半1時間で物語が大きく様変わりする所は、物語を何か見落としたのか?と錯覚するほどにいきなり突き放される。終幕に向けて徐々に物事が明らかになってはいくものの、観終わった後もどこか整理しきれない部分がある。今こうやって色々調べた上で頭の中を整理しようと試みてもどこか掴みきれない不思議な感覚が残る。
面白いのが、物語のひとつひとつを紐解くとそれぞれがジャンル映画の様相を持っていて、家族ドラマ、恋愛もの、青春群像ものといったストレートな表現が表面にありながらも、冷戦後の東西の爪痕がバックグラウンドとしてのしかかる。様々なジャンルがレイヤーになっていて、パラレルで進みつつ後半1時間で冒頭から匂わせていた政治的なバックグラウンドへと大きくシフトする。
物語のキーはやはり頭部のミイラで、例えばデイヴィッド・リンチ作品であれば異物感を煽り立てて日常を歪ませるような代物なのに、自然とそこにあるのが当然のように馴染んでいる。もちろん主人公は頭部の存在に困惑させられ、どうしたら良いものかと途方に暮れる。しかし遺体解剖を主とする医学生という立場もあり、死体が日常の中に入り込んでいるだけあって、頭部のミイラの出自を科学的に読み解く謎解きの様になっていくのが、自然に描かれていたのが面白い。海外ドラマでもこういった内容のものがあったが、ミイラを単純な謎解き医学ドラマに落とし込まない所がユニークであった。
デプレシャンはジョン・ル・カレのスパイ小説を参考に脚本を書き、「国境を傷跡に例えたい」とコメントしていて、東西冷戦後も残る東側と西側の痕跡を東側のスパイであるブライヒャーと、ロシア人のミイラから足跡を辿っていく。東側の囚人となったフランス人の話をひっくり返して、西側へ移住したソ連/ロシア人を物語に織り込んだ。そして同時に主人公は権力サークルで働くパリの高学歴ブルジョワジーのネットワークの中に存在していて、外交官だった父の後を拒否するように医学の道へと進もうとしている。東西含め権力闘争の環への強迫観念から抜け出そうとしたい願望が、心のうちにあるという事もそうした道へと進む希望を見出しているのかもしれない。国境の傷跡というのは、紐で結んだ頭部の切り跡であり、家族やコミュニティに帰属する関係性の破綻へと繋がっていく。不穏や不安、緊張感を持ちながら、ミイラから割り出したソ連の科学者の顔立ちと、その科学者の写真が重なる時正体不明のミイラは人としての輪郭を取り戻す。巨大な組織の狭間に立たされながらも、終始パーソナルな視点に留める物語のある種の親密さが物語全体を貫いている。下手をすると大味になりかねない所を、ぎりぎりで主人公個人の視点に留めている所が画一的なジャンル映画と大きな違いではないだろうか?割り切れない不条理さと、ミニマムな距離感が魅力的だと思う。
それにしても、昨今の世界情勢を見ると東西冷戦は終わったかに見えて今もなお新たな局面と共に続いている。冷戦終結直後にポスト冷戦を描きつつ、それが妙にリアルに感じられるのは今の様な状況だからこそだとも言える。

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