【映画】憐れみの3章 Kinds of kindness/ヨルゴス・ランティモス
タイトル:憐れみの3章 Kinds of kindness 2024年
監督:ヨルゴス・ランティモス
前作「哀れなるものたち」の日本公開が今年だった事もあって、半年ちょっとでランティモスの新作が公開される短いスパンは、もうやるの?とちょっと驚きだった。とはいっても2時間半の長尺のわりに、短編三作という形のせいか、小粒感は否めない。あまり期待せずにまあこんなもんかなという枠を大きく逸脱した作品ではなかったと思う。「哀れなるものたち」の作り込みに比べてしまうとという事でもあるのだけど。しかしながら、「籠の中の乙女」や「聖なる鹿殺し」の様な不条理劇に近い雰囲気で、毎度毎度よくもまあズレた感覚を作り出すものだと感心する。現実世界をちょっとしたギミックで位相をズラす事で、微妙に目の前の世界に異様な空気が流れ始める。彼が上手いのはズレたままその感覚を最後まで維持し続ける所じゃないかと。そう考えると、近作よりもこっちの作風の方が元々のランティモスらしいスケール感に近いような気がする。
他の作品にも共通しているが、食欲や性欲、睡眠欲といった三大欲求の描写から、キャラクターがそれを求めるような欲を感じさせない。空腹だから食すとは異なる食事の様や、行方不明の妻の姿を追ってスワッピングを撮影したビデオを観たり、壊れた夫婦間をさらに壊すセックスなど、睡眠を取れば悪夢に悩まされる。全ての欲求が欲の動機にあらず、そこにある徹底した居心地の悪さは意外と近作では薄まっていた要素でもある(とは言っても一捻りした露悪さは健在だったけど)。
キリストの復活やラザロなど宗教観が盛り込まれているのと、いまいち動機のはっきりしないそれこそ不条理な物語は謎解きしたくもなるが、ただ単に辻褄の合わなさを、理屈や観念よりもブラックユーモアを観たまま真正面から受け入れる方が単純に楽しめると思う。ギミックが効きにくい昨今の作品群の中でも、人間の業の歪さを描くランティモスの手腕は凄いとは思う。次の作品の箸休め的な作品とも取れるが、そんな作品でもしっかりとエグさを出してくるところに作家性を感じさせる。
ドルビーアトモスで鑑賞したのだけど、ダッジチャレンジャーをドリフトさせる無茶苦茶な運転を見せるシーン以外はあまりドルビーで上映する意味あるのかな?という感じ。
あと前から思っているのだけど、日本で日本人キャスト使って一本作ってくれないかな。エマ・ストーンに市川実日子っぽさを感じてしまって、あの歪さを日本で描いたらどうなるんだろう…と毎度想像する。
サントラは「哀れなるものたち」と同じくジャースキン・フェンドリックス。練り上げられた前作に対して、即興っぽいピアノは映像に程よい不条理と不協和音を醸し出していたけれど、ちょっとインスタントな感じはある。
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