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【映画】はなればなれに Bande a part/ジャン=リュック・ゴダール

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タイトル:はなればなれに Bande a part 1964年
監督:ジャン=リュック・ゴダール

2001年にリヴァイバル上映で観た以来なので、かれこれ20年ぶりに鑑賞。ゴダールといえば、今でも「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」が筆頭に上がるとは思うけれど、この20年ほどで評価が上がっていったのはこの「はなればなれに」や「ウィークエンド」の様な気がする。実のところ、ゴダール作品はあまり得意な方ではなく、60年代の作品にある破滅的でパンキッシュな感じに圧倒されはするものの、見る度にどうもしっくりこないモヤモヤっとした気分にさせられる。日韓W杯の真っ只中で観た「ウィークエンド」も、あの車が並ぶ長蛇の列のシーンの長回しに圧倒はされながらも、永遠に感じる長ったらしさを感じた。その反面、「はなればなれに」にある軽さはずっと心の片隅にずっと居座っている。それはマジソンダンスやルーブルを疾走するシーンの印象の強さと、それに影響された映画の存在が、度々僕の中の記憶の引き出しの鍵を開けることにあったからなのだけれど。
そしてやっぱりアンナ・カリーナの存在感。この頃のゴダール作品には欠かせない存在だし、映画の大小スケール関係無く彼女抜きでは考えられないほど強く所作に結びついている。ピーコートとチェックのスカート、ストッキング、ヒールの低い靴というファッションは今観てもアイコニック。昔、服飾系の友人がゴダール映画をファッション視点で観ていたという話をしていたのをふと思い出した。

1962年にアメリカで流行したマジソンダンスは、フランスにも飛び火して流行っていたステップ。”マジソンダンス”と検索すると真っ先にこの映画が出てくるのだけれど、ロッキー・ホラー・ショー(1975年)の中でタイム・ワープの直後に時代錯誤なお堅い主人公(?)ブラッドが「マジソンは踊れるかい?」という台詞にある通り、70年代半ばには誰も見向きもしない古いステップだったのが垣間見れる。とはいえ、このシーンの影響はハル・ハートリーの「シンプルメン」の様な映画にダイレクトに引用されている(眉前のエリナ・レーヴェンソンがタバコを燻らせながらソニック・ユースで踊るシーンは必見)。

ルーブルを駆け巡るシーンはベルナルド・ベルトリッチの「ドリーマーズ」で引用されている。五月革命と若者文化の台頭という60年代のカルチャーの中で「はなればなれに 」がいかにそれを体現したものなのかを、感じさせる場面になっていた。

「はなればなれに」の撮影前にアンナ・カリーナは鬱状態だったらしく、そうやって観ると劇中の彼女の表情は終始浮かない顔をしている。この表情を観るとレオス・カラックスの「ボーイ・ミーツ・ガール」に出ていたペリエ・ミレーユの鬱々とした表情を思い出す。そういえばこの映画でも(ミレーユひとりではあるものの)ダンスシーンが挿入されている。ネオヌーヴェルバーグと評される人々は、政治性が欠けているという部分で、ヌーヴェルバーグと断絶があると評されることがあるものの、「はなればなれに 」を軸に置くと60年代のヌーヴェルバーグと地続きな面もあるのがよく分かる。

ゴダールの商業ベースの作品では「ウィークエンド」が最後にあたり、それ以降のレフトフィールドなイメージが定着してしまっているけれど所々にある、ある種の「軽さ」は年月を経た今こそ観るべき部分なのかもしれない。
本作は現在フランス名門ゴーモン配給ではあるものの、アメリカコロンビア製作というのも大きなポイントだと思う。フランスタバコのジタンは吸わず、アメリカタバコのラッキーストライクを燻らすアンナ・カリーナ演じるオディールは、カフェでコカコーラを飲む。フランスでコカコーラのCMからキャリアがスタートしたアンナ・カリーナと、アメリカの配給会社へのシニカルな視点を織り交ぜたゴダール流のユーモアが随所に挟まれている。


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