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【映画】怪物/是枝裕和


タイトル:怪物 2023年
監督:是枝裕和

子供は時に残忍で他人と少し違う様子を感じ取って排除しようとしたり、いじめに発展したりする。小学校の頃、アトピー持ちの女の子がいて男の子たちはそれをいじったり、疾患を揶揄したりしていた。その子自体をどうこう思っていなくても、守ったり擁護する様な事をすれば、劇中のように「好きなんだろ?」といっていじられるのが怖くなって結果的にいじめに加担する事になる。では大人はどうかといえば、実生活では直接的には表立って言うことはなくても裏で噂を立てたり、関係性の中でターゲットを貶めるように外堀を埋めていく事も多々ある。ダイレクトに責め立てるのはSNSなどのネット上の出来事を見ていると、往々にして起きている。
タイトルの「怪物」という言葉が常に頭から離れなかった。ある人にとっては善良な隣人であっても、立場や関係性からは怪物にもなり得る。自分の隣人の事を思い返しても、ある人の事を悪く言う人がいても、実際に話すと全く違う人物像が浮かび上がる事も少なくない。それぞれが持つ倫理観や正義の視野が異なる事から生まれてくるものだと思うのだけれど、人間の評価は一側面から語るには常に危険を孕んでいる。誰しも「怪物」の側面を持っているし、他人を聖人君子として祀り立てたり、その有無で秤に立てるのは甚だおかしい事でもある。勧善懲悪では捉えきれない複雑さが人間の本質であるべきだと考えるべきで、その反面噂から醸成される虚像の中の悪は図らずも他人という距離の中で「怪物」を生み出す。
そう考えると、この映画の中の人物全てが「怪物」であるとも言える。安藤さくら演じる早織は学校側にとっては、モンスターペアレント(怪物)であり、瑛太演じる保利は早織にとって怪物である。物語の中で一番の被害を被った保利にとっては社会全てが怪物である。しかし湊にとって彼らは怪物ではなく、学校というソーシャルな関係が怪物である。漠然とした脅威と不安の中で生み出される形のない怪物こそが、この映画の一番の本質なのではないか。特定の誰かよりも、特定出来ない誰かが生み出す脅威こそが怪物であり、見えない怪物に目を背けている社会の有り様がまざまざと浮かび上がる。
正義の名の下に他人に対する疑念を糾弾しようとする時、噂や異なる現実がエビデンスとなってあるべき姿を失う。正しい事が果たして正しいのか。社会的な倫理観やポリコレは大切だと思うけれど、それらが破綻した時に一体正しさとは何かが問われる。一方では表面だけを切り取ってポピュリズムに走り、理由なき正しさに盲信する場面にも出くわす。人それぞれの正義に対峙した時に争いは生まれ、本来あるべき姿を見失う。間違いと正しさが表裏一体になったこの物語の不条理さは身に積まされる。

映画としてこの作品が傑作かというとどうももやもやする部分がある。物語が進むにつれ、特に最初の部分の粗さが際立ってしまうようにも感じた。というのも、保利があの状況で飴を舐めるような人物と感じられなかったことに違和感を感じた。ある視点でのだらしない教師像を生み出そうとしているのは分かるが、あまりにもステレオタイプな悪人像に、状況が飲み込まない立場とはいえそこまで空気の読めない男ではないだろうと思ってしまう。どうしてもこの部分の繋がりに違和感を感じてしまう。極端に言えばどのキャラクターもステレオタイプではあるけれど、物語の上ではそこまで違和感は無かった。坂本裕二のドラマは観ていたので、ある種のステレオタイプなわざとらしさがテレビドラマでは上手く紐づいていた。本作ではその過剰さを取り除こうとしている形跡は感じられるものの、あるモチーフとモチーフの繋がりが生み出すものがかえって表面化していた。テレビドラマに比べれば、含みのある表現に仕立て上げられているものの、それらの繋がりがどうしても気になってしまう感じもあった。
興醒めしていたわけでもなく、どちらかと言えば映画の世界に没入していたので、その辺りが上手く描けていたらより没入出来た様にも感じる。とはいえカンヌで脚本賞を受賞しただけに、少し疑問が残る印象が拭えなかった。
サウンドトラックは坂本龍一の生前最後の遺作という事もあって、理屈では語れないものがあるが、ロジックからかけ離れた彼自身の内から紡ぎ出される音像は映画の肌感と密接に繋がっていた。昨今のポストクラシカルとも言えるピアノだけの音楽は、死ぬ間際まで最新の音楽を求め続けた彼のアティチュードを感じさせる。一方でヒットアルバムBTTBに収録されたウィンダムヒルっぽい(これはこれで今っぽいのだけれど)Aquaは少し饒舌すぎる印象もあった。この映画は舌っ足らずさと饒舌さが上手く噛み合わない作品でもあり、この音楽の使い方も同様に感じられる。
つまらないと言っているわけではなく、凄みを感じるだけにどこか主張の強い甘さが出てしまっているのが気になってしまう。
万引き家族での主張を極限に抑えた細野晴臣との対比が、如実に出てしまっている。万引き家族にあって、ここには無いものが作品の違いを感じさせる。


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