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【映画】英国式庭園殺人事件・ZOO/ピーター・グリーナウェイ

世代によってアダプトしにくい作家、監督、ミュージシャンがいて、特に十年くらい前の近過去のものほど意外と繋がりにくい事が少なくない。僕の中でピーター・グリーナウェイはそのひとつだったりする。現在サブスクに作品があまり無い事も、振り返る上で阻まれる事の要因のひとつでもある。これはグリーナウェイに限った事では無いのだけれど…。
常にピックアップされ、時代がかわっても紹介されるヒット作や名作はアダプトしやすい反面、時代のカラーが色濃く出てしまったり、その時代のものと位置付けられてしまった作品ほど、その後に引き継がれていかないものも多い。とはいえ、それらは00年代初頭までは雑誌というつなぎがあった時代の事で、今やオンライン上のレコメンドでどのように出てくるかで受け取り方も変わってきている。数日前にバズってた投稿を見て、過去のカルチャーが並列にすらなっていない状況なのに少しばかり驚いた。

思い返せば意識的にハリウッド的な映画から抜け出して色々観ようと近所のレンタル店で物色していた90年代半ば。そのなか中のラインナップにピーター・グリーナウェイはあったと思う。デレク・ジャーマンの「Blue」があったのは記憶していた。東京23区のハズレの小さなレンタル店でも、80年代のミニシアターブームの残り香は確かにあった。しかし、当時の中高生にとっては敷居が高く、グリーナウェイもジャーマンも観たのは20歳を超えてからだった。マイケル・ナイマンとの出会いは高校の時の数学教師が映画好きで、彼が持っていたピアノレッスンのVHSを借りて観たと記憶している(あの印象的なピアノスコアの楽譜が付いていた)。
20代前半に以前服飾関係に勤めていた彼女から、ピーター・グリーナウェイの「コックと泥棒、その妻と愛人」を勧められた。当然衣装がゴルチェである事や、カラフルで作り込まれた世界観と、ヨーロッパ志向の彼女の好みど真ん中という事もあったけれど、あのエグいラストは未だに頭から離れない。
とはいえグリーナウェイの作品をそれ以上追う事はなく、結局それ一本観たままで止まってしまった。90年代以降の活動…というよりも人気が低迷した事も大きいのか、あまり多く語られてた印象は薄い。デレク・ジャーマンは00年代にリバイバルがあったが、こちらも今の所振り返る機会が中々訪れない状況が続く。

タイトル:英国式庭園殺人事件 The draughtsman ‘s contract 4K 1982年

今回のリバイバル上映は、昨今の4Kリマスター上映ブームも後押ししている感もあるけれど、高精細であの世界観をスクリーンで観る事の楽しみは意義がある。とにかくゴージャスな17世紀の衣装やカツラは冗談みたいなルックが滑稽で、時代劇なのにかえって時代を超えた表現とカットがとにかく美しい。晴れたイギリスの庭園や建物、画家のスケッチのシーンなど、とにかく洒落ていてカッコ良い。シンメトリーを活かした描写は、アラン・レネの「去年マリエンバートで」みたいな雰囲気だなと感じていたら、グリーナウェイのフェイバリット作品だと知り納得。ゴシカルなのにカラフルで、退廃的なのにコミカルな雰囲気が何よりも魅力に感じる。
基本部分は「コックと泥棒、その妻と愛人」と同じで、この時から露悪的なキャラクターたちと、それに振り回される男、それらを繋ぐ女たちという図式は通底するテーマだったのがよく分かる。というかある時期までは基本は変わっていないのだなと。
マイケル・ナイマンのスコアはフライング・リザーズのデヴィッド・カニンガムがプロデュースしていて、クラシカルだけども華やかさの中に、どこかニューウェーブっぽさがある。

タイトル:ZOO ZOO A Zed & Two naughts 1985年


冒頭のZOOという青いネオンから始まり、ケレン味のある映像がとにかく目を引く。「英国式庭園殺人事件」もそうだが、舞台や演劇を感じさせる所がイギリス映画らしいというかグリーナウェイの特徴に感じられる。作り込まれた衣装や舞台、シンメトリーを活かした映像のケレン味は、昨年リバイバル上映されたウルリケ・オッティンガーに通ずる感覚がある。オッティンガーが映像的な面白さを優先しながらドラマ部分を解体したポストモダンな作風だったのに対して、こちらは演劇的な描写が強い分、ドラマ的な骨格の上に構築されている印象が強い。近しい時代に近い表現がありながらも、その部分が大きく異なる。土台は過去の演劇をベースにしつつ、換骨奪胎しながら独自の表現を拡張し続けたのがグリーナウェイの作風だったのではないだろうか。
「英国式庭園殺人事件」では人間の内なるグロテスクさが露呈した作品だったが、こちらは外面も含めた露悪さが突出し始める。交通事故でそれぞれの妻を亡くした双子の兄弟が、墓の中で腐敗していく妻たちを受け入れる事が出来ず、食べ物や動物が腐敗していく様子を記録していく。同じく妻たちと共に事故にあったアルバは脚を失い、残った脚も自らの意思で脚を切断する。やたらと出てくるペニスや女性の陰毛など、エロスとタナトスが映画の全体の空気を包む。囚われた心を反映するように、動物園が舞台となり、心を解放しようとする想いからか動物や昆虫を檻から放つ。
動物園という見せ物の場所が連想するのは、結合双生児だった双子が元に戻ろうとするかのように繋がったスーツを纏い、体が欠損した人物たちなど「フリークス」と似た露悪的なスペクタクルに連なる作品の系譜にも繋がってくる。
人物の感情は廃しつつも、うちに秘める欲望がだだ漏れた状態へと滑稽な状況へと突き進んでいく。
グリーナウェイはヨーロッパ的で不条理かつ不思議な情感を描かく作家なのだなと改めて思う。今このタイミングだからこそ、振り返るべき作家だと思う。


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