【映画】あのこと L'Événement/オードレイ・ディヴァン
タイトル:あのこと L'Événement 2021年
監督:オードレイ・ディヴァン
痛い。テーマがテーマなだけに、精神的な切迫感も身体的な苦痛もストレートに描かれていて、女性が自立して生きる以上の困難さと、少ないレールからはみ出してしまう危うさが、一歩踏み間違えると社会のシステムに組み込まれてる現実。
とにかく身体的な痛さが画面全体から伝わってくる。一週過ぎるごとに目の前の扉が少しずつ閉じられていくような焦燥感と、扉の先へとなんとか切り抜けたい切実な希望。中絶のタイムリミットはカウントダウンではなく、カウントアップされていくが、リミットの境界線は曖昧でその一線は事を起こさないとわからない。
全くテイストは異なるのだけれど、中絶しようとする場面はどうしても「Titan」を思い出す(先日出たバビロンノートでも同様に挙げられてて、まあそうだよなと思った)。両作ともに先の尖った金属の棒を子宮に向けて突き刺すのだけれど、肉体的な痛みは共通しながらもある種のホラーに突き抜けた「Titan」に比べると、こちらは心の痛みも伴ってくる。無邪気にセックスを夢想する同級生の処女たちと、主人公アンヌの間にある距離感は絶望感でしかない。妊娠するまでは、無邪気な友人たち側だったはずなのに身体的な変化がその現実を突きつけてくる。
1960年代前半という時代がまだ中絶が違法であったという現実は、その後フランスでは合法に変わってはいるものの、昨今のアメリカの状況を見るといつ覆るか分からない世の中でもある。キリスト教カトリックがそもそも中絶禁止を重んじている事と、本作の宗教の価値観をベースとした社会的な倫理観が生み出す刑法は、女性を苦しめるだけの法でしかない。しかし、それが今もなおアメリカで宗教右派と政治右派が転覆させる事態も起きている現実もある。「17歳の瞳に映る世界」でも同様に中絶が違法な州で暮らす主人公が、合法なニューヨークへと手術を受けに行く話だった。宗教観によって、女性の自由が奪われる出来事は昔の事に限らず現代でも起きている。
MeToo運動以降、女性が受ける社会的な差別を声高に掲げる作品が増えた。近年評価の高まるアケルマンやバーバラ・ローデン、ヴァルダらのかつての作品は、声を上げられず静かに翻弄される女性の虐げられている様を淡々と中に渦巻く不条理さを描ききっているが、近年の作品はより表現はダイレクトなものが多い。本作もストレートに中絶へのアクションがひたすら直情的に描かれる。壮絶な中絶場面がある映画といえば、ぱっと思いつく所で、例えばかつて小津安二郎の「東京暮色」で、中絶の末絶命する物語が描かれたが、有馬稲子演じる妊娠した女性側からの視点ではなく、外から見た時点で描かれていた。ある種の悲劇をドラマのパーツの中に盛り込むのと、当事者としての視点で描かれるのは当然全く異なってくる。どちらが良いか悪いかではなく、現代のテーマ性を鑑みると、表現の形は女性である当事者の視点で描かれる事のリアリティが今の映画のテーマとして置かれている。
辛い現実に対して、映画としてそこに抒情性が入り込む余地があるかどうかという部分は、昨今のフランス映画が盛り返しつつある現状をみるとその辺りのバランスも取りながら掴んでいるようにも感じる。
Evgueni Galperine & Sacha Galperineによるスコアも、張り詰めた緊張感を伝えるポストクラシカルなサウンドが良かった。
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