【映画】パラサイト 半地下の家族 기생충/ポン・ジュノ
パラサイト 半地下の家族 2019年
監督:ポン・ジュノ
上映時間:132分
坂と半地下
韓国好きの会社の同僚と話していたら「韓国はとにかく坂が多い。半地下がある家も結構あるんだよね。」と話していた。確かに思い返せば韓国映画の中で立派な家は坂の上にある事が多いし、坂が出てくる場面は結構思い当たる。ポン・ジュノの最初の作品「吠える犬は噛まない」でも主人公がトイレットペーパーを転がすシーンがあった(その次のシーンは笑った)。「パラサイト」でも主人公家族が暮らす家は坂の下にあり、裕福なあの家庭の豪奢な家は坂の上にある。絵に描いたような貧乏と裕福な生活。
毎度期待している監督ポン・ジュノ
ポン・ジュノのフィルモグラフィを眺めていたら全部作品観ていた事に気付いた。そもそも「吠える犬は噛まない」がまだ原題の「フランダースの犬」が邦題の仮タイトルになっていた時から気になる監督として、かれこれ20年近く見続けてきた事になる。そして最初の「吠える犬は噛まない」のオフビートながらユーモアとペーソスを織り交ぜたあの世界観に虜になった。その後傑作「殺人の追憶」「グエムル」とヒット作を連発しながらもどこかあのオフビートな世界観を求めながらも、裏切られてきたような気持ちをずっと抱えてきた。ポン・ジュノの作品はどれもユーモアが潜んでいるものの、どこかシリアスな雰囲気の方が上回っていて観る度に未消化な状態が続いていた。韓国国外で製作された「スノーピアサー」は全てがから回っているようにも思えたし、「オクジャ」はどうにもひっかかりすら無かった。
そこから至る「パラサイト」である。今作はポン・ジュノの最高傑作なのはパルムドールを受賞した事からも証明されている。久しぶりにユーモアが全面に溢れていて、「殺人の追憶」以降のスリラー的な要素もふんだんに盛り込まれている。貧しい一家が裕福な家族に徐々に寄生していく様はテンポも良く、出自を偽りながらもそれらしく振舞う様は中々痛快である。裕福な家族が留守中に起こるあの出来事はホラー映画さながらの怖さがある。裕福な夫婦がぺッティングを始めた時に妻が「時計回りで!」という台詞は声に出して笑ってしまった。
主人公の動機の弱さが気になる
ただし、どうも入り込めない映画だったのは否めない。全体の流れは良かったし2時間を超える映画だったけれど長さは感じなかった。けれどパーティのシーンでソン・ガンホ演じる父親のギテクが、イ・ソンギュン演じるIT社長のパクを殺害する動機がどうしても弱い。あの惨劇自体は物語の流れでもアリだと思うけれど、ギテクが殺害まで至る気持ちと動機を考えると、描き切れていない感情があったとしか思えない。元家政婦夫婦の夫と同じ扱いをされたギテクが下流の扱いを受けた事は見ていればわかる。ゴキブリと臭いはキーワードとして機能していたし、裕福な家族の息子はそれを体感している。下流階級と上流階級というメタファーというのも重々承知している。日本でもニュースに取り上げられているほど、韓国の格差や受験戦争はよく知られている。狭い門をくぐり抜けた人達と、くぐり抜けられなかった人達の断絶に起きる恨み辛みが今一歩描き切れなかったのではないかと感じてしまった。というのも前年に同じくパルムドールを受賞した是枝監督の「万引き家族」がその点を丁寧に描いていたからこそ、その部分でどうしても入り込めない要素となってしまった。
とはいえこの豪奢な家を舞台に、レコードをかけながら寄り添う元家政婦や、結婚を夢想する主人公一家が一瞬でも夢見た豊かな暮らしという幻想は強く胸を打つ。軟禁状態の父親を想いつつ夢想するラストはその全てを描いている。父は僅かな希望と助けを求め、息子は将来のありたい姿を夢見ながら最上のドラマを頭に描く。観ている我々はそんな事有り得ないだろうと心に受け止めつつも、そんな未来が到達するのを夢想する。
変える事が出来ない現実と、有りたい姿を想起させる現実とのギャップがこの映画の肝だったように思える。
1/16追記
冒頭の同僚とこの映画について話していたら、「それは恨(ハン)では?説明しにくいんだけど、韓国の人たちは情(ジョン)と恨(ハン)っていう感情を持ってるんですよ」と言われた。
“恨の形成の裏には、儒教の教えや習慣が、本来の形を越えた形でエスカレートさせていったことが背景にあったと言われ、それは上位者の下位者に対する苛烈な扱いを正当化する解釈や、下位の者は過酷な立場を受容しなければならないとする解釈になった。“
なるほど。そう考えると格差社会のなかで上位と下位の立場の根底にこの感情があって、あの惨劇までに至ったのかなと考えれば納得出来る。
その他、映画に出てくる韓国文化についてはこちらのサイトに詳しいのでそちらも参照されたし。
ポン・ジュノとソン・ガンホのインタビュー
さらに追記
このポン・ジュノのインタビューを読んで、うまく咀嚼できていなかった部分があったのがわかった。表面的には主人公家族と坂の上の裕福な家族という相対的な構造に囚われがちだけど、坂の上の豪邸の地下に主人公家族よりももっと悲惨な夫婦がいた事と、側から見れば些細な違いに見える貧困層の同族嫌悪的な視点があったのだと気付かされた。今でも貧困なのにさらに下がある事(奇しくも上階と下階の層になってる)でギテクが今の生活よりももっと酷い生活がある事にあの夫婦の存在で気付かされたという事だったのだと。
映画のキーワードになっている「臭い」は上位家族の夫が感じた貧乏くさい臭いや、下水まみれのまま運転する中で上位家族の妻が臭いに耐えられず車の窓を開ける様や、殺害のきっかけになったパーティでの夫が鼻をつまむほどの異臭を放っていた男の存在と関係がトリガーになっていたのは、キムが今の生活以下に対する恐怖と、それと一緒くたにされたような感覚があったから殺害に至ったのではないかと思った。
皮肉にもギテクが逃れた先が底辺だと感じたあの地下だったのは、思い返すと逃れられない階級の底にたどり着いてしまった結果だったのはなんとも言えない感情が沸き起こる。
先にも書いたけれど、そこから脱却するための術は想像の範囲でしかない現実が重くのしかかる。
考えれば考えるほどあの話に含まれた見えない恐怖があぶり出される。「明日は我が身…」という気持ちに駆られるのがこの映画の本質な気がする。
さらにさらに追記 2/11
ポン・ジュノのインタビューにもある通り、パラサイトはキム・ギヨン監督の下女(1960年)から影響を受けていると発言している。YouTubeに日本語字幕付きのものがアップされている。こちらも傑作です。
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