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【映画】シック・オブ・マイセルフ Syk Pike/クリストファー・ボルグリ


タイトル:シック・オブ・マイセルフ Syk Pike 2022年
監督:クリストファー・ボルグリ

本作は「わたしは最悪。」のオスロピクチャーズ製作で、かつ次回作「Dream Scenario」はアリ・アスタープロデュースでA24製作ということで俄然期待が高まるクリストファー・ボリグリ監督。いやはや北欧の映画ってなんで人間の根の暗さが如実に出るものが多いのか。先日の「イノセンツ」もフィジカルな痛みと心の闇が描かれていたけれど、こちらはもっと闇が深い。主人公は人々から注目を集めたいと自ら肉体を壊しにかかって、同情を得て人目を集めようとする承認欲求の塊のようなかまってちゃん。世間の注目を集める恋人を出し抜こうと、セルフプロデュースが行きすぎていて、異形の姿へと変貌していく様は一体どこまで突き進むのだろう?ととにかく痛々しい。変貌していく様子はデイヴィッド・クローネンバーグの「ザ・フライ」みたいだな…と思っていたら監督のインタビューでクローネンバーグの影響が語られていて、そりゃそうだよなと納得。
リアルと虚構、妄想が一応境目がはっきりしているものの、自伝が出版される妄想があるように、意外と物語全体が妄想で出来上がっているのでは?と感じた。特にラストの代替治療のシーンは、周りと打ち解けている辺りにそれまでの流れから考えるとこれも妄想なのかも?と思わされる。フィクションという虚構と、主人公の物語の虚構が肉薄していて、実のところどれが盛られた話なのか判別出来ないほど入り混じってくる。体の自由が効かなくなる場面も、演技なのかそうではないのかがはっきりとせず疑いの目で見てしまう。病的なまでの自己破壊と、そうなる事でリアルな実感を感じさせながらも、どこか非現実的な雰囲気もある。というのも、この映画の特徴としてズームの多用があるのだけど、モデル撮影の時にレールでカメラがぐっと主人公に寄るシーンがある。このシーンはプロモーション撮影の一環での出来事だが、他のシーンではこれと似た様な被写体に寄るズームが随所に登場する。単純に映画的なテクニックというよりも、プロモーション撮影的な映像のイメージとこれらのズームが重なり合って、より虚構性を感じさせる。つまりそう考えると映画全体が、主人公が悲劇のヒロインとして祭り立てられる物語のイメージ/妄想として作られているのかもと想像出来る。あくまでもひとつの見方であるので、それが答えとは言えないのだけれど、そう考えると大きな入れ子構造になってるのかもと想像するとまた違った見方になってくる。
誰しも成功する夢を頭の中で思い浮かべるし、ふと現実に戻る時の雰囲気は痛々しくも自らに突き刺さってくる。虚構が現実に反転するリアル。何気に一番リアルだったのは、高価な家具が押収された後に登場する、一目でそれとわかるイケアの椅子だったかも。
暴言を吐く医者役で「サマーフィーリング」「わたしは最悪。」に出ていたアンデル・ダニエルセン・リーが出てきたのはちょっと嬉しい。
音楽は全体的にクラシックが流れていたけれど、エンドロールの80’sマナーなDiscovery ZoneのDance IIが良かった(ドラムマシーンの音色とフレーズがなんとも)。


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