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【映画】パリでかくれんぼ Haut bas fragile/ジャック・リヴェット


タイトル:パリでかくれんぼ Haut bas fragile 1995年
監督:ジャック・リヴェット

映画としてのスムースさより、画的な強さを選んでいるせいか物語としては破綻していたり、閉じなかったり、ぎこちなさが散見される。しかしこの映画の魅力は表面的な作り上がりではなく、場面場面にある感情と躍動感の瞬発的な画の力強さだと思う。かなり緻密に作り上げたカメラワークと、俳優陣の体を張った演技と視線や仕草がいかに有機的に絡み合うかだけの映画なのかもしれない。ドラマツルギーよりも、とかくダンスや歌から生み出される別の情感含め心地よさを生み出している。そこに面白みが感じられるかに尽きる。
「セリーヌとジュリーは船で行く」と同じ様に、脚本を全く用意していなかったリヴェットは、今回も俳優陣と共に作り上げたという事らしい。「セリーヌとジュリー」にあった楽観的な陽気さが、「パリでかくれんぼ」でも見事に復活している。しかし、単純な反復に収めず2人が3人に拡張され、さらにミュージカル要素やべネックスやベッソンの様なクライムな雰囲気もチラつかせる。僕は基本的にミュージカルが苦手で、普段は敬遠するのだけど、ここまで体に染み込んでくる感覚は中々無い。エンゾエンゾの音楽と含めて好みだったのもあると思うけども。
さらに輪をかける様に印象的なのがアンナ・カリーナの存在感。リヴェット作品では「修道女」以来の出演という事と、かつてのヌーヴェルヴァーグ時代を仄めかせる写真が出てきたりと、あの時代と95年当時の彼女の対比が心に来るものがある。既に亡くなってしまった事もあって、当時よりもさらに強い郷愁感が今回あったのでは?と感じた。シワ枯れ声でスナックのママさん感(劇中の役がそんなような感じ)はあるが、表情や立ち振る舞いに変わらぬ彼女の姿が見てとれる。鬱で悩んでいた60年代に比べると、付き物が取れたような自然な雰囲気が中々に好感を持てるし、あの時代のアイコンの残り香を感じさせながら、年を重ねた姿が頭の中で重なっていく。本音を言えば60年代黄金期のアンナ・カリーナはちょっと苦手で、好きな女優では無いのだけど本作の彼女は今まで見た中でもベストだった。
タイトルは英題のUpside,Down,Fragileからもわかる様に、「天地無用、こわれもの」という意味から、ニノンのバイク便から来ている。7/15から8/15というヴァカンス期のひと夏の物語で、人気のないパリでの珍道中となっている。フランス映画と夏の相性の良さもこの映画の魅力であり、一悶着あってヴァカンスにも行かずにパリで暮らす人々というのも重要な点だったと思う。
劇中のエンゾエンゾの曲はアルバムDeuxから。


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