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【映画】パスト・ライブス Past lives/セリーヌ・ソン


タイトル:パスト・ライブス Past lives 2023年
監督:セリーヌ・ソン

韓国人移民といえば本作と同じくA24が配給した「ミナリ」や、養子問題を外からの視点で描いた「ソウルに帰る」など韓国国外についての映画がある。韓国人としてのアイデンティティと、長く国外で暮らす移民としてのアイデンティティの揺らぎがそれぞれで描かれていたが、本作は韓国側の状況も含んでいて、過去から現在へ至るまでにスプリットされてしまった12歳の頃の記憶と、12年置きに進む物語の中で過去の記憶が交差する。
直線的なドラマツルギーは冒頭に現在のシーンはありながらも、ストレートで無理に捻らずにあるがままを捉えていた。
突然カナダへ移住したノラとヘソンの記憶は12歳の頃に留まり続けていたが、12年後にフェースブックで繋がる辺りは現代的な物語でもある。無情なまでに突き進む24年間は干支がふた回りしているという所がアジア的な時間軸を想起させる。
しかしどこか既視感のある造りだなと引っかかっていたのだけれど、パンフレットの森直人さんのコラムにリンクレーターの「ビフォア三部作」が引用されていて、あーそうか!と納得した。しかしながら「ビフォア三部作」と異なるのは、子供の頃に別れてしまった事だったり、主に監督自身の経験から作られた物語でもある点は似て非なるところだと思う。
僕も経験があるが、海外と日本で暮らす中で遠距離を保つのは難しい。ネットが自由に使える環境であればスカイプなどでやり取り出来ても、何処かのタイミングで連絡が途絶えるきっかけが生まれる(僕の場合は国際電話でやり取りしてえらい金額が発生してしまった)。対面でも人と人との関係は難しい上に、距離が挟まれるとどうにもならない。それぞれの生活があり、時差による障壁も生まれてくる。想いだけではなんともならない状況を打破するのは簡単にはいかない。
この映画は関係についての物語であり、単純な恋愛映画ではない。欧米の人からみればアブストラクトでアジア的な”縁”についての物語である。そして祖国がある移民についての物語であり、ユダヤ系移民であるアーサーが感じる距離感の話も非常に心に刺さってくる。人種の坩堝であるニューヨークが舞台であり、ノラとアーサーという二人の移民が抱える孤独も浮かび上がってくる。韓国人としてのノラとヘソンの祖国を交えた繋がりに対する、アーサーの拠り所の無さを吐露するシーンは痛切な不安が露呈していた。彼にとっての妻の物語は、立ち入れない領域にあって理解しようにも入り込めない障壁が生まれてくる。知っている妻の知らない部分は、ノラにとっては些細なものでもアーサーにとっては小さからず脅威として映る。しかしながらノラの強い意志は観客は読み取れるし、アーサーに語りかける言葉は嘘ではないのだなと感じられる。
パンフレットの監督のインタビューによれば、12歳の時の別れの際に「さよなら」を言えなかった事がラストに繋がっていると知り、物語の深みを感じた。恋愛とは少し違った想いは、12歳の頃のふたりが心の中に残り続け、その別れを24年の時を経てはっきりと明示されたからこそ別れの辛さを感じるほろ苦さが残る。
ヘソン役のユ・テオは「LETO」のヴィクトル・ツォイ、アーサー役のジョン・マガロは「ファースト・カウ」のクッキーを演じていたのを知って驚いた。当たり前だけど役柄によって俳優のカラーが変わるのは面白い。
グリズリーベアのメンバー2人によるスコアも素晴らしい。クラシカルな要素とインディロックな雰囲気が余韻を含んでいて、映像とマッチしていた。エンドロールではシャロン・ヴァン・エッテンによる歌も。劇中ではジョン・ケイルやレナード・コーエンなどニューヨーク(ケイルはウェールズだがヴェルヴェット・アンダーグラウンドの活動を考えれば以下略)とカナダという地理的なものも含んでいたのだろう。

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