【映画】枯れ葉 Kuolleet lehdet/アキ・カウリスマキ
タイトル:枯れ葉 Kuolleet lehdet 2023年
監督:アキ・カウリスマキ
引退を撤回しての六年ぶりの新作ということもあって、いつにも増して話題に上がっている。サービスデーに行ったため劇場はほぼ満員。カウリスマキの近作でここまで混んでいた印象が無かったのと、老若男女幅広い世代が詰めかけていた感じだった(とはいえ上の世代が多め)。
正直なところ「街のあかり」以降のカウリスマキ作品は笑いのキレが無く感じられる。先日、未見だった作品を含めて80〜90年代の作品にまとめて触れた時に感じた、ノンシャランとした滑稽さとユーモア、やたらとぎこちない友情の形から浮かぶ高揚感に比べるといささか希薄ではある。何を求めるかによってくるとは思うのだけれど、カウリスマキというとぎこちない人間関係が生み出すコミカルさをどうしても求めてしまう。
じゃあ果たしてコミカルさがカウリスマキの全てかというと、それも違うのかなと思う。これまで常に貧困に喘ぐ市井の人々を描きながら、飄々と生きる姿は現実から目を背けられた様子でもある。どん詰まりの中で、希望もない日々に一筋の希望を見出したり、または絶望の加減が作品によってまちまちだったりする。特にこの二十年の作品を振り返ると難民問題の排斥運動などヨーロッパが抱えた負の部分も多く盛り込まれる。本作でも主人公の勤め先は、難民や移民が従事する仕事であり、社会の中でも底辺にあたるものである。さらにアル中でどこに行ってもクビになる。さらに輪をかける様にロシアによるウクライナ侵攻が常にラジオから流れてくる。ロシアの隣国フィンランドにとっては、身近な問題でありともすれば明日は我が身とも言える。もう少し後であれば、イスラエルのパレスチナ侵攻も加えられたのではないだろうか。
そんな社会への厭世観も主題として扱われている反面、いつものカウリスマキ節の中でわかりやすいくらいすれ違う恋愛模様が描かれていた。カウリスマキの心境は自虐ギャグと共にインタビューで明らかにされている。
名画座Ritzの入り口にはロベール・ブレッソンの「ラルジャン」、ゴダールの「気狂いピエロ」と「軽蔑」などのポスターが飾られて、盟友ジム・ジャームッシュの「デッド・ドント・ダイ」を鑑賞する場面が挿入されたりと、いつになく映画へのオマージュが入れ込まれている。小津安二郎を思わせるカットも盛り込まれている。
毎度登場するレトロな小道具は現代でも使われているの?と不思議に感じるアナクロさはあるが、本作ではとうとう携帯電話が登場する。それなのに、電話番号をメモした紙を無くして連絡が取れないという、ベタな展開はカウリスマキらしい愛嬌がある。
相変わらず寿司が大好きなカウリスマキらしく、カクテルのマドラーの先に寿司がついていたりと小ネタも多い(この辺りの話は「インディペンデントの栄光 ユーロスペースから世界へ」を一読されたし)。
そして毎度毎度の音楽の趣味の良さ。ライブブッキングされたと思ったら映画出演だったというマウステテュット(英訳するとSpice Girls…って!)の映画そのままの歌詞や、レトロなラジオからフィンランドの古い音楽が流れてると思いきや、篠原敏武の「竹田の子守唄」だったりと意表を突かれる選曲の数々のユニークさも、楽しみのひとつだったりする。
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