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ジョアン・ジルベルトガイド

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ジョアン・ジルベルトの全キャリアを年代とアルバムで切り分けて辿る。彼が何を見て何を目指したのか、同時代の流れも含めてルーツを遡っていくジョアンを知るためのガイド。 ※2020/2… もっと読む
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2018年12月の記事一覧

ジョアン・ジルベルトガイド①/想いあふれて Chega de saudade 1959年

ジョアン・ジルベルトガイド①/想いあふれて Chega de saudade 1959年



・全ての始まり

詩人であり友人のホナルド・ボスコリから拝借したセーターを着込み、肩肘ついてこちらに視線を送るひとりの男。28歳にしてアルバムをリリースしたジョアン・ジルベルトのファーストアルバム。ジョアン・ジルベルトの初期三枚はサンバから換骨奪胎し、新たな音楽を作り上げブラジルの音楽だけでなく世界の音楽を変えた。このアルバムがリリースされた1959年の前年にSP盤「Chega de saud

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ジョアン・ジルベルトガイド②/愛と微笑みと花 O Amor, O Sorriso E A Flor 1960年

ジョアン・ジルベルトガイド②/愛と微笑みと花 O Amor, O Sorriso E A Flor 1960年



アントニオ・カルロス・ジョビンはジョアン・ジルベルトと新たなアルバム制作を行うため、自然に囲まれた山奥のポッソ・フンドの別荘へとジョアンを誘う。

ジョビンとジョアンはその年の記録的な大雨でぬかるんだ道を抜け(途中ジョアンが道端で見つけた大蛇を狩りに行くというハプニングを挟み)、到着したポッソ・フンドの家で一週間ほど過ごす。あたりの鳥のさえずりや川の流れる音に囲まれながら、ふたりはろくに食事も

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ジョアン・ジルベルトガイド③/ジョアン・ジルベルト João Gilberto 1961年

ジョアン・ジルベルトガイド③/ジョアン・ジルベルト João Gilberto 1961年



・サンバがテーマだったものの…

2枚のアルバムがヒットしたものの、ボサノーヴァブームにより巷に似たような音楽が溢れ帰ると、ジョアンはそれらの自分とは異なるイミテーションたちに嫌気がさし、世間のボサノーヴァというレッテルから脱却しようと、改めて過去のサンバに立ち返ろうとする。

3枚目のアルバムを作るにあたり、ジョアンとジョビンの仲は険悪な状態に陥っていた。これまでジョビンとジョアンだけでなく

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ジョアン・ジルベルトガイド④/ウン・エンコントロ UM ENCONTRO 1962年

ジョアン・ジルベルトガイド④/ウン・エンコントロ UM ENCONTRO 1962年



・輝かしい日々の終わり

1962年、ジョアン・ジルベルトは映画「コパカバーナ・パレス」に出演し、オス・カリオカスと共にSó danço Sambaを、アントニオ・カルロス・ジョビンとルイス・ボンファと三人でCançao do mar(ボンファ作)を披露する。

・そして新たな門出の始まり

そしてこの年、元レストランのライブハウス「オー・ボン・グルメ」にてジョビン、ヴィニシウス・ヂ・モラエス

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ジョアン・ジルベルトガイド⑤/黒いオルフェep Cantando As Músicas Do Film Orfeu Do Carnaval 1959年

ジョアン・ジルベルトガイド⑤/黒いオルフェep Cantando As Músicas Do Film Orfeu Do Carnaval 1959年



・黒いオルフェ

ここで、時計の針を少しばかり戻したい。
1959年、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モラエスによるオルフェのブラジル版「Orfeu da Conceição」をベースにした映画「黒いオルフェ」が公開される。サウンドトラックを製作する際にジョビンとルイス・ボンファが招集され、主演の歌部分の吹き替えをする歌手が必要となった。ここでジョアンは候補として名乗り上げた

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ジョアン・ジルベルトガイド⑥/ゲッツ/ジルベルト Getz/Gilberto 1963〜1964年

ジョアン・ジルベルトガイド⑥/ゲッツ/ジルベルト Getz/Gilberto 1963〜1964年



・このグリンゴにお前は馬鹿だと伝えてくれ

1963年3月、ヴァーヴと契約したジョアン・ジルベルトは、スタン・ゲッツと連名になるアルバムのレコーディングを開始する。しかしジョアンの目指す音楽に対して、求めるものを理解できないゲッツに、それまでのレコーディング同様に癇癪を起こす。
「このグリンゴにお前は馬鹿だと伝えてくれ」英語を喋ることのできないジョアンは、決して流暢ではないジョビンに通訳を託し

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