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Spyro Gyra(スパイロ・ジャイラ)を一日聞いてみる
このグループ、若い頃によく聞いたが曲調から南の方の出身かと思っていたところ、設立はニューヨーク州バッファローだと、あとで知り驚いた。
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どんなグループ
ニューヨーク州最北端の都市バッファローにて、リーダーでサックス奏者のジェイ・ベッケンスタインが、地元仲間であったキーボード奏者のジェレミー・ウォールらとのセッションを経て、1977年にバンドとして旗揚げした。グループ名は、ベッケンスタインが学生時代の生物の授業で覚えた「spirogyra(アオミドロ)」を、あるバーのオーナーが「Spyro Gyra」と綴りを間違えて書いたことに由来する。
1979年、キーボード奏者のトム・シューマン、ヴィブラフォン奏者のデイヴ・サミュエルズ等と共にファースト・アルバム『スパイロ・ジャイラ』をGRPレコードよりリリース。初回プレスはわずか500枚であったが、反響を呼び20万枚を超すヒットとなった。1980年には代表作となるセカンド・アルバム『モーニング・ダンス』を発表する。ビルボードのポップチャートを上昇して70万枚以上のセールスを上げ、ゴールド・ディスクも獲得した。タイトル曲はこのシーンでは珍しいカリプソ調の曲であったが、現在もなお高い人気を保っている。他の曲でもブレッカー・ブラザーズを迎えたりとバンド・コンセプトの強いものであった。
1990年代に入り、スムーズジャズと呼ばれる動きが盛んであった頃でも、彼らの音楽はR&B、ファンク、ポップスなどからの影響をとどめており、スムーズジャズよりもジャズ的であると言われる。即興性よりも曲調に主眼を置いた作風が多く、彼らの全盛期である1970年代末 - 1980年代に出されたアルバムにラテン調の明るい曲が多かったことも手伝って、「軽い音楽」という評価も見られるが、ライブでの技術も含めたメンバーの音楽性自体は高い。
一時期、メンバーの入れ替わりが激しかったこともあり、リーダーのベッケンスタインや、作曲担当以外のメンバーは、結成当初とは大きく異なっているが、コンスタントにアルバムをリリースし続けている事からも変わらぬ人気ぶりが伺える。
ミュージックビデオ
メンバーは健在のご様子。最初のビデオは2020年6月にステイホームでの演奏。
二つ目のビデオはおそらく1980年ごろの演奏。
最後のビデオは1986年のライブで演奏時間が1時間を超え、彼らの多様性がよく分かるのではないかと。
MOH