子供の虐待について思うこと 前編

自宅に戻って1か月とせず亡くなった子供のニュースを見て、子育てをする人間として心が潰れそうだった。
隣で宿題をする息子の姿を見ながら、亡くなった子にもこんな人生があって当たり前なのに。

虐待について、この機会に考えてみたいと思った。

日常の中で、子供に対して感情的になる場面はある。
やり取りができるようになった頃から「イヤダ!」も増えていくので「何でよ!!」と言ってしまうことも増えた。
大人の思っているように子供は動くわけではないし、それは頭で分かっているのに。
進まない物事にイライラしてしまう。

イライラした時の対処法として”その場から離れましょう”ってよくあるけど…
的確に離れられたことって数少ない。
実際離れて落ち着いた頃、その場に戻ったら部屋が崩壊していた。
子供が離れた私を追いかけてきてギャン泣きされたこともある。
こうして完全に離れられることもなく、途方に暮れながら子育ての戦場は続いていく。

じゃあ、虐待を許していいのかと言うとそんなわけない。
子供は親の勝手で人生を左右されてはいけないから。
未来を生きる権利があって、それを手伝うのが親の仕事だと思ってきた。

私の息子は吃音や感覚が過敏だったりと集団行動には難しいことが多い。
連日何かしら忘れ物はするし、宿題を一人でできたことはない。
物事を理解する方法がちょっと複雑だったりするので、そこに付き合うのもなかなかの労力である。

上手くエンジンがかからない息子に「早く!!」と怒ってしまうこともあるし、強い言葉も出てしまう。
もっと寄り添ってあげたいのに。自分の余裕のなさに悲しくなる。

どうにかならないかと悩みながら私が気を付けているのは、怒った後に理由を話して謝ること。「出来るようになってほしいと思い過ぎて怒ってしまったんだ」と正直に話す。
そして「君のことが大好きだよ。怒ってごめんなさい」と謝る。

息子も「今日の母ちゃんは怒りすぎじゃないかな」とすぐに許してくれないことも。
それは私から「もし許せないと思ったらそれでもいいよ」と伝えてきたからかもしれない。
子供だから無条件に親のことを許すというのは違う気がしたので、息子が納得できるまでは許してもらえないんだと私自身も肝に銘じて関わっていく。

どこからが虐待で、どこまでがそうでないかなんて簡単には決められない。
だからこそ私は子供が苦痛を感じたらそれは虐待なんだと思うことにした。

私はこれからも子供達をサポートする立場を任されているのだけど、この責任を果たしていくために円滑な関係性を築いていくのも私の役目なのだ。

そのために、余裕のある自分で生きる櫃夜がある。
早く寝たりしっかり食べたり、時に子供と過ごさない時間を作ることも大事なことなんだと気付いた。
平日の休みや子供達が帰ってくるまでの時間を自分のために使う。

子育てにおいて「~しなければならない」という感覚は自分を苦しめて、その先に子供達にも影響することを実感したので心の中に『~でいいや係』を配置している。
余裕が無くなったら
「洗濯たたみは今日じゃなくてもいいや」
「ご飯はレンチンでいいや」
と頭の中で声をかける係。
離れることが難しい状況で100%でやりきるのはやめにした。

親仕事って予想以上に大変。我慢の繰り返し。
でもそれは命を預かる人間としての責任だった。

そして、私には虐待の事件を見るたびに思い出す親子がいる。


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