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右左折がうまくなりたい女と早く帰りたい男〜終章〜

これまでのあらすじ

男はマッチングアプリでまたひとつアポイントを取得した。

会ってみると外見こそそこそこであったが、お互い酒が好きで話題も合う。

これはあたりだ、と確信したのも束の間、女の本性が露わになった。

酒が巡った女は、暴走車両の如く、男の会話を遮り、ただひたすらに結婚の話をし出す。

帰りたい男。しゃべりたい女。

帰れない男。止まらない女。

そんな時、神の救いの手が差し伸べられた。

「満席につき2時間経過のお客様には退店のお願いをしております。」

僥倖だ。

ここぞとばかりに男らしさを見せつける男に、しぶしぶ店を出る女。

「やっと帰れる」と一息ついたところを、女の鋭いドリフトインコースが炸裂する。

「2軒目、どこいきます?」


断れない男

男は激怒した。
自分自身の意思の弱さにだ。

本当は帰りたい。今すぐにでもあの改札を通って電車に乗り込みたい。

だが男は断れない性格の持ち主だった。

服屋で店員に声をかけられると、とりあえず試着までは促されてしまう程度に意思が弱い。

一方の女は、真反対の性格の持ち主だ。

自分のしたいことには忠実で、あとから帳尻を合わせるタイプだ。多分仕事も早い。

男は、やっとの思いで地獄の酒場から脱したのに、
女から2軒目を打診され困惑していた。
時刻は19時。普通なら2軒目もあり得る時間だった。

「とりあえずこの周辺のお店見てみますか」

苦渋の決断だったが、男は店が混雑していることに賭けた。

今の時期だ、酒類の提供をしているというだけで、その店は満員御礼だ。そして今日は土曜日。

間違いなく空席などない。

正解だった。

3、4軒回ったが、どこも満席。
(1軒だけ、なんとか席を開けてくれようとした店があったのにはヒヤヒヤした。)

「やっぱりどこも空いてないですね〜」

「そうですねぇ…うーん。」

「また今度予定合わせてとかどうですか?」

「確かに…そっちのがいいかもですね…」

勝った。
男は勝ちを確信した。震えるほど嬉しかった。

スマホでなにかを調べ出す女。
電車の時間だろうか。

「あっ!この店空いてるって!!」

おぉ…パトラッシュ…
私を置いて先に天国へ行かないでくれ…パトラッシュ…。

この時期のこの時間で空いてるとはいったいどんな店だ?
シンプルに気になって、女のスマホを覗き込んだ。

そこはこの駅から2駅ほど先の飲み屋街だった。
つい最近、会社の先輩にも、飲みに行こうと誘われていた店だった。

「あっ!ここかぁ!ついこの間先輩に教えてもらったんですよね!」

男はそう口にした瞬間、自分を殴りつけたくなった。
バカヤロウ。お前はなにを呑気なこと言ってるんだ。

「お!じゃあその先輩とやらにおすすめのメニューを教えるためにも行きますか!!」

ほら見ろ。

「行きますか!(がえりだいっ…僕は帰りたいっ!!!)」

そんな心の声が届くわけもなく、女と電車に乗り込んだ?

2軒目には15分ほどで到着した。
古民家をリフォームして作られたその店は、
独特の風貌があり、赤提灯系でありながら清潔感があって非常に居心地が良かった。

さっそく酒を頼む。つまみもいくつか頼む。

「かんぱーい!」

2人とも2軒目とは思えないスピードでぐいぐい飲んだ。

男はこの嫌な思い出を消し去るため。
女はこの後に備えたエナジーチャージ。10秒チャージだった。

酒は便利だ。

おつまみも揃う。
牛タンが名物なその店は、おつまみも牛タン尽くしだった。
そしてこれが本当に美味い。牛タンとは思えないほど柔らかく、口に入れた瞬間、程よく脂が染み出し、そしてとろける。

月並みな表現ではあるが、これは本当におすすめできる。

ちょっとだけ来てよかったな、と思ったのも一瞬のことで、ふと女に視線を向けると、目が据わっている。

終わった。
あ、いや、むしろ始まったのか。

もう、腹を括ること以外なにもできない。
いいだろう。どんな話も受け止めてやる。


右左折ができない女と帰りたい男

「あたし最近運転上手くなりたくて〜」

そんな切り出しからだったと思う。

女は旅行が好きらしい。
ただ、こんな時期なので流石に新幹線や電車乗り継いでというのは気がひけるらしい。(飲みに来といて。)
だから、車で遠出ができるように運転スキルを磨きたいのだという。

女の実家はど田舎だった。住所的には地方の中級都市だったが、実態は最寄りのコンビニまで車で10分という田舎っぷりだ。
(ちなみに男の実家もそんな感じだった。)

そんな田舎の道路というのものはとにかく道幅が広く、車通りは多くても東京ほど窮屈さはない。

したがって練習には打って付けでなのである。

女は、こんな事態になる前まで長期の休みには親孝行がてら実家に帰り、運転スキルを磨いていたのだそうだ。

こういう時分には、決まって助手席には"特別講師"が座る。

女のそれは女の母親だった。

母親は、田舎生まれの田舎育ち。
まさに、その道のプロ、だった。

しかし、決してプロだからと言って教えるのが上手いわけではない。
有名な4番バッターが必ず名監督にはなり得ないように。

女曰く、母親の教習はとにかく余裕がないのだそうだ。

たしか教習所では、右左折の30m手前、が定石だったように記憶しているが、その母親は決まって5m手前で、いきなり「そこ右!」と言ってくるのだそうだ。

なかなかパンチの効いた教習である。

女はそんな教習方針に、ほとほと嫌気がさしていた。

「そもそも他人のタイミング曲がれる訳ない。」
「あたしが曲がりたいと思った時に曲がりたい。」

うん。それもそれで怖い。

やはり教習所の教えに則るのが正しいと思う。
無理して曲がるくらいなら一旦諦めて、次で曲がれば良い。
大抵の道は、必ずどこかで交差してる。

そんな話をしたと思う。

「でもそしたらいつまで経っても好きなタイミングで曲がれるようにならないよね?」

女よ。そもそもその考え方が違う。

とは言えなかった。

これを言ってしまうと、おそらくさらにヒートアップした女に、捲し立てられてしまう。

男は、ただひたすらに頷き、同調し、同情した。
これでもかというくらい聞き役に徹した。
自分は壁だと思うようにしていた。

興味のない話を永遠と聞かされる苦痛を、誰しもが一度は味わったことがあると思う。
小学校の全校集会での校長の話だ。

男はまさにそんな気分だった。
あぁ、隣に座ってるカップルの片方、鼻血出して倒れないかなぁ、なんて考えていた。

そのカップルたちは、仲睦まじく猥談に興じていた。
時刻は21時。たしかにそんな時間かもしれない。

方やこちらは、女が右左折できない話、右左折できないからバックもできない話をずーっと聞かされていた。

男は眠くなっていた。
油断するとすぐにでも欠伸が出そうになる始末だ。

女はまだヒートアップしていた。
1速、2速、3速とギアを上げていき、次はトップ。4000回転そこそこでエンジンが心地よいうめき声を上げ始める頃だ。

こんだけマイペースに話すんだ。
運転もさぞかしマイペースであろう。

だから片田舎のだだっ広い道路でさえ曲がれないのだ。空きまくった駐車場で、堂々と斜めに停めるのだ。

性格は運転に出る。
昔こんなことを言われたのを思い出した。
その通りだ。

急に女が席を立つ。
やばい、話を聞いてないことがバレたか?
謝る体勢に入ろうとした時、女はトイレに向かって歩いて行った。

唐突に訪れたそのチャンスを男は逃さなかった。
すかさず店員を呼び会計を済ませる。
ここでも男はスマートだった。

レシートが来るより先にカードを渡し、
とにかく早く済ませてくれと懇願する男。
困惑する店員。
猥談が加速するカップル。

まさにカオスだった。

猥談するカップル側には、いつになったら行けるのだろう。

そんなことを考えていたら、いつのまにか女が戻ってきていた。

男は申し訳なさそうな顔を作って、話を切り出した。

「明日も朝から予定があって、今日はそろそろ…」

これ無理矢理飲み会に連れて行かれた部下が上司に使う常套手段ではなかろうか?

相手は上司でこそなかったが、ここまで来ると似たようなものだった。

ここで女は再びエンストを起こした。
道路のど真ん中で立ち往生する車のように見えた。

「そっかぁ…すごく残念だけど仕方ないね。」

「申し訳ない。会計は済んでるからそろそろ出ましょうかね」


そう言って2人は店の出口へ向かった。
気づくと店内はカップルしかいなかった。

男たちからの熱い視線。
「よくやった。俺も後に続くからな」みたいな顔をしていた。

違う。違うんだ。
ただ、ただ、家に帰れるというだけでこんな雄々しい顔になってしまったんだ。

すまない、みんな。
君たちの期待には応えられない。

外は一段と涼しくなっていた。
梅雨入り前とはいえ、ここまで冷えることがあったであろうか。

男の心模様のようだった。

駅に着いた。

「今日は楽しかったです!また飲みいきましょう!」

マイペースな女からはそんな言葉が出た。

「そうですね!またタイミングあったら!」

断れない男からの最大限の牽制球だった。
おそらく女は気づいていない。

女を見送ると、男は少し立ちすくんでいた。

ふと空を見上げる。
今にも泣き出しそうな青水無月の空。

男はスマホを取り出すと、再びマッチングアプリを開くのであった。