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【実話】ある年の初詣【不思議な話】

大学生の頃のある年の年末のこと。
実家で年越しをしようと帰省した自分は、母に「四柱神社って知ってる?」と聞かれました。

当時スマホの操作すら覚束ない母の代わりに調べると、長野県松本市にある大きめの神社であることが出てきました。へー、初知り。

母にそのことを伝えると、母も同じリアクションをしており、なんなら「そういう字なんだー」と返ってきました。
なんでやねん、知ってるから聞いたんじゃないんかい。

聞いてみると、原爆の被害に遭った子供が「四柱神社の鳥居に15時に連れて行って欲しい」と毎晩夢の中で言ってくるそうです。どえらい昔の話なので、日付指定があったかまでは覚えてないです。

この時点でもうめちゃくちゃ創作くさいんですが、当時こんなことばっかだったので麻痺して日常の一部だと思っていた我々は、その神社に初詣に行くことにしたのでした。
後から思い出したのですが、静岡県と長野県の間はエグい山脈があって迂回するしかないので、東京に行くより時間がかかります。いまだに後悔するくらい遠かった。

そんなこんなでたどり着いた四柱神社、新年なこともあって屋台が並び、周辺も鯛焼き屋やカフェなどがあり、普通に楽しく過ごしました。楽しく過ごした上にお参りの列がめちゃくちゃ並んでいたため15時を3分過ぎましたが。
我が家はレジャーにおいて計画通りに目的地に着くことが本気でできないゲボカスルーズ集団なので、むしろよく誤差の範囲で辿り着いたものだと今思うと感心してしまいます。

その後この件については何も言わなくなったので、多少の遅刻も許してもらえたのやもしれません。

そういえば母は「昔の子供」ではなく「被曝した子供」と言っていたことが気に掛かり、なぜそう思ったのか聞いてみました。
母は少し考えてから一言、

「知らない方がいい」

返ってきたのはそれだけで、自分も父もそれ以上聞ける雰囲気ではなかったので、子供の姿は母だけが詳しく知っています。

でも、神社の大鳥居の足元で必死で「もう出て来ないでください…」と手を合わせていた母を思うと、一発でそうと分かる資料館や教科書で見る何倍も悲惨な姿だったんだろうなぁ…と今でも時々考えてしまいます。

じゃあ先に鯛焼き食うなよて。思うよ?

準備にかかる所要時間の見積もりが甘い上に、道中寄り道しまくる陸斗家がお送りしました。
水信玄餅が食べたいのにどんなに急かしても急いでくれないので、整理券に間に合った試しがないです。

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