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30歳でセブ島の教育ベンチャーを退職した話、あるいは今だからこそ海外勤務をすることの価値について

久しぶりにnoteを書きます!これから書くものは、退職エントリと言われるものだと思います。

ふとダッシュボードを見たら、海外で働くというエントリを書くと2,000名くらいに読んでもらえるらしく、最近読んだ「チ。」にもあったとおり、文字って時代を超えてものを伝えられるという点で奇跡だなぁと思います。私の経験がすこしでも誰かに届くといいなという気持ちで書きます。

なぜセブ島のメガベンチャーに就職したの?

「英語で、文化やバックグラウンドが異なる人たちと仕事がしたかったから」です。日本でもできる可能性はありましたが、海外に出てしまう方が早いなと思ったのでした。

詳細はこちら:https://note.com/mohecko/n/nd02a4c1e4e66

実際にセブ島に移り住んで、フィリピンに加えて、台湾やロシアのメンバーとも働く機会があり、やりたいことは達成することができました。改めて自分の強みや伸ばしたいスキルセットを強化することができたと思います。

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みんなでご飯を食べる、ということが何よりの楽しみなフィリピン

実際にセブ島で働いて、どうだった?

最高の3年でした。この3年が自分をビジネスパーソンとしても、人としても成長をさせてくれたと思います。

そもそもフィリピンに住んでいると、「当たり前だと思うこと」が全く当たり前ではないのです。

例えば…

 - タクシーの運転手がお釣りを持ってない
 - こちらから聞かないと大事なことを教えてくれない
 - 同じメニューを昨日食べたのに今日は違う味がする
 - 雨が降るとネットが不安定になる
 - トイレには便座がない
 - 喧嘩しても次の日ケロッとしてる
 - 職場ではだいたいだれかが歌ってるかTiktok踊ってる
 - 国からのお達しが3日でひっくり返る
 - 全社会はお化粧もお洋服も大変こだわる

もはや日本だったら炎上、ニュースになるレベルのことがたくさんありますね。これでも国が国として成り立っていると考えると、わたしが今まで守ってきたものってなんだったんだろう?となってちょっと途方に暮れます。

でもこんなことがあって、自分が本質としているものを疑う姿勢を嫌でも身に着けさせられます。はたまた、「なんでこうなっているんだろうか?」と立ち止まって考える機会が多くなりました

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最後の全社会のテーマは「Caribbean」でした

自分が正としていたものについて、もしかしたら自分が正ではないのではないか?と不安になることもたくさんありました。この経験を20代のうちに積んだというのはすごく強みだし、あらゆることの見方を変えて物事を考えられるようになりました。(あと図々しくなりました)

なにをやっていたの?

教育事業のマーケターとして入社し、コロナ禍でフィリピンがロックダウンを敷いた後はオンラインスクールに切り替えてサービスを販売するところの責任者をやっていました。マーケ/広報(メンバー)→マーケ・セールスのマネージャー→サービス提供チームのマネージャー(兼任)という形でロールが変わっています。

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元メンバーに会いにマイナス40度のロシアに訪れたとき


大きい成果よりは小さく功績を作ってきたような3年間でした。

例えば…

 - 留学事業デジマのKPI改善
 - オンラインサービスリニューアルのディレクション
 - コーポレートサイトのディレクション
 - サービスの出口戦略の立案と実行
 - プレスリリース継続制作による広報効果

組織面だと…

 - 社内のコミュニケーションツールをSkypeからSlackにした
 - 1on1制度を導入させた
 - レガシーCRMからの脱却による業務効率改善
 - チームとしての振り返り定型化
 - チームへのPeer Evaluationの導入

うーん地味ですが草の根系ですね。コツコツやるのが得意。

なんでやめたの?

やりたいことがやれたのと、人生のブレイクタイムとして、プライベートでもやりたいことを思い切りやる期間が欲しくなったからです。

シードテック/NexSeedはとてもとても良い会社で、私のような我の強い人間でも意見を受け入れてくれる人しかいなかったので、大変のびのびとやらせてもらいました。

上述のとおりですが、マーケターというキャリアから始まり、すぐに広報を兼任し、台湾人やロシア人のチームを仕切って、1年くらいしてからマネージャーを拝命し、ロックダウンになって、日本人とフィリピン人の2つのチームをマネジメントして、チームの採用をデザインしながら、自分も日本語・英語両面で面談や面接をして、新会社のコーポレートブランディングなんかにも携わり、本当に飽きずいろいろな経験をさせてもらいました。

マネージャーになってからはどう振る舞っていいかにかなり悩み、EVeMというマネジメントスクールに身銭を切って通ってからはメンバーからのフィードバックも良くなりました。自分のチームからはリーダーが2名選出されたり、リーダーシップを取ってくれるメンバーもだいたい育ったなぁと感じていて、マネジメントについても一定理解ができたなという所感を持ちました。


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メンバーからうれしいFBをもらった


どのタイミングで退職しても「やりきっていない」「もったいない」「無責任」は絶対に存在するので、自分のなかでこうしたい、違和感がある、というその感覚を大事にしてキャリアを選ぶべきだと私は思っています。そのタイミングが訪れて、退職を決意したという流れになりました。

今、海外で(海外と)働くってどう?

NexSeedにいたときにもよく聞かれましたが、今こそチャンスだと思います。こんな状況下だからこそ海外で働くことを遠くに感じている人が多いように思いますが、帰国する人が増えているのも事実で、現地で働きたい人のニーズは多いように感じます(フィリピンという国にいて思うことであり、主観です)。

海外に住んでいた身からすると、日本に住んでいる方との商談はコロナ以前からオンラインであることが普通で、当時はかなり驚かれたり嫌がられたりもしましたが、そのハードルは今やないに等しく、物理的に距離が離れていることが理由にならない世界になったなと感じます。実際にオンラインで話すことが普通になって以来、日本にいる友人や知り合いが増えました。だからこそ日本に閉じる必要もなく、むしろ国という単位で何かを隔てて考えるということがナンセンスだなと思います。

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セブは山がいいんですよ、これはロッククライミングしたとき

グローバルに働きたい!なら、住む場所を問わない可能性が上がった今です。海外移住を考えるなら、過疎が進む今です。誰もやりたがらないから自分がやる。そうしていくと道は開けるのだと思います。

セブ島は2020年は厳しくロックダウンを敷いていて外出すらできませんでしたが、ここ1年は飲みにもいけますし、自由に移動も可能です。SNS社会だからこそ、情報入手もかなりスピーディーです。日本食にバリエーションがないので寂しくなるくらいで、特に困ることはないです。

これからどうするの?

今は人生のブレイクタイムとして定職にはついておらず、ビザのダウングレードが終わり、日本への帰国を待っています。

海外で仕事をして暮らしてみるなかで、国という単位で物事を考えなくてもよくなる体験をして、母国である日本が日本だけに閉じてしまうような弊害を取り除くお手伝いをしたいなと考えています。何をするかは未定です!笑


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ここまでお読みいただきありがとうございました。海外のこと、キャリアのこと、気になることがあればなんでもお力になれるかと思いますので、わたしのTwitter(@om180611)からご連絡ください。

それでは、もえやんでした!Peace!

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