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分類別古単no.55:月に関する語

55■月に関する語

受験生のための単語リストです。
ここでは「道理・非道理・理不尽・納得」というニュアンスを持つ語を集めてみました。ここは古典常識なので、長文になってしまいますが、がエッセイ風に紹介し、例文も省略します。
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■次の語の意味をA→Bで確認!

A 単語リスト

つきたち・つごもり・もち・閏・十六夜(いざよひ)・立待の月・居待の月・寝待の月・臥待の月・更待月・有明の月・上弦の月・下弦の月

B 語義と語感

「太陽は東から昇って西に沈むけど、月は?」と聞かれたら何と答えるだろうか。なぞなぞなどではなく真面目な質問である。
答えは太陽と同じ東から西。当たり前じゃんと思われるかもしれないが、結構多くの生徒が「東から西ですか?」と自信なげに答える。中には自信たっぷりに「西から東」と言う生徒も必ずいたりする。
なぜこういう現象が起きるのかというと、現代には電灯があるからである。夜になっても煌々と灯りがついていて、何の不自由を感じることもない。昨今では24時間営業の店舗も当たり前のように増えてきて「眠らない街」は盛り場だけではなくなってきている。
しかし、灯りが乏しいものであった昔は、闇を照らす月は非常に大切なものだったに違いない。満月の時はまるで昼間のように明るく、月のない夜は一歩先が見えないくらいに暗い。月の光に敏感にならざるを得なかったのである。だから、僕らは闇を失うと同時に月の存在も失ってしまった
ちょうどラブレターがケータイの普及とともにその存在を忘れられ、そこにあった一人想う恋の概念が消えつつあるように、月は現代人にとって遠い存在になり、月に寄せる思いは勿論、月の出る方角すらも分からなくなってしまったということになろう。

そこで今回は純粋に月の学習をしてみたい。

まず、月の変化で当たり前のように大事なのは、満ち欠けをするということである。月の光は太陽の反射であるから、月が地球と太陽の間にある時は見えない。これが新月の状態である。
月が地球の周りを回ることでズレると地球からは月が光を受けて見え始め、段々に光を受けて見える部分が大きくなっていく。そして、ちょうど月が地球の反対側に行くと地球からは月が太陽の光をすべて受けている状態に見える。これが満月である。更に月が回っていくと、それまでとは逆に、反対側が欠けていくように見え、最後に新月の状態に戻るということになる。
だから、振り出しは新月だが、これはまだ見えない。次第に光を持ち、目に見え始めるのは三日月として夕暮れの西の空に現れる頃であろう。それが段々に太っていく。
ちょうど半月になった状態を弓にたとえて上弦の月と言う。更に太り満月望(もち)である。その後、今度は反対側が欠けていき、再び半月の状態を迎える。西の空に沈む形で、今度は弓の弦が下を向くのでこれを下弦の月と言う。そして次第に細り、最後になくなってしまう。この周期が太陰暦で言う1ヶ月になる。
月がちょうど地球の周りを一周したわけであり、この1サイクルが正確に言うと29.4日であるらしい。当然太陽暦の1カ月より短いので誤差も大きい。だから太陽暦でも四年に一度余分な一日を設けて調整するように、閏月といって一か月余分にある年もある。5年に一度、19年に7度の割合で閏月のある閏年がある。閏月が何月になるかは不定で、三月の次に置くなら「閏三月」「やよひに閏のある年」「春加はれる年」などと言う。
現在でも月の初めの日をついたちと言うが(例えば「風立ちぬ」のように自然界に何かがふっと現れることを「立つ」と言う)、「月が現れる」ことを月立ちと言ったからである。月の最後の日は月が籠ってなくなってしまうので月籠りついたちと比べると馴染みは薄いが、これが縮まってつごもりと言う。大晦日は大つごもり。樋ロ一葉の小説にある。ついでに全くいらぬ無駄知識だが、英語のMONTHMOONからきているらしい。

もう一つ僕らにとって大事な月の変化は、同時刻に同じ空にあるのではないということである。昼に昇って夜中に沈んでしまうものもあれば、夜中に昇って昼間沈む月もある。月は夜の空ばかりにあるのではない。
これは地球が一日一回りする間に、月も地球の周りを動いているからである。月は30日かけて地球の周りを一周するので、360°÷30日。僕らが地球に乗っかって一周し、再び同じ位置で空を見上げると、月は12°その位置をずらしていることになる。
だから僕らが昨日と同じ時刻に空を見上げても、月はそこにはない。月が先に行ってしまうということは、僕らから見ると月の出る時間が遅く見える。12°のズレは単純に計算すると、48分になるが、それだけ毎日毎日遅くなるのである。
満月を基準にするとわかりやすい。大雑把にこの時、月は夕方の6:00に昇り、夜ずっと空にあって、朝の6:00に西の空に沈む。翌日の16日には前日より月の出は遅くなる。
十六夜と書いて「いざよひ」と読むが、月がまるで出てくるのを躊躇しているように見えるというので、ためらうという意味の「いざよふ」を当てたところから来ている。
このあたり、一日一日、月の名前が変化していくのがおもしろい。翌日になるとまた遅くなる。なかなか出てこないので待ち遠しい。縁に立って待つ。だから立待の月。翌日になると立っているのもくたびれるので座って待つ。居待の月。翌日は座って待つのもしんどいので寝転がって待つ。これを寝待の月とか臥待の月などと呼ぶ。これが19日の月ということになるが、夜の9時過ぎに昇ってくる計算になろう。20日の月を夜が更けてから昇るので、更待月と言ったりもする。当然、月の出が遅くなれば、月が沈むのも遅くなるわけで、このころ(16日以降)の月は朝になってもまだその姿を空にとどめていることになる。それを有明の月と言う。

こんなふうに拾っていくと日本人は月をいろいろな名前で呼び表していたことがおわかりいただけると思う。夕月・弓張り月・おぼろ月・田毎の月などこれらの他にもまだたくさんのことばがあるが、そうした名前の多さはいかに日本人が月と親しんできたかをよく表している。不思議なことに星には関心がなかったようだが、「雪月花」と言って、月は日本人にとって美の代表であった。

また単に美しいだけではなく、夜を彩るものとして生活感情と密接に結びついてもいた。例えば、夜は基本的には男と女が逢う時間である。昔の結婚形態は通い婚といって、女のところに男が通うかたちであったから、女にとって、恋は待つことと同義であった。来ぬ人を待つ、その切ない気持ちが月と重ねられる。ずーっと待って結局、有明の月を見ることになってしまうこともあった。あるいは逆に、有明の月は、逢瀬を遂げて、その|後朝《きぬぎぬ》に恋しい人と二人で眺めた思いの深い月であることもあったかもしれない。例えばそんなふうに、月は人々の心に息づいてきたのである。
 
細かいことにこだわってみたが、そんなこともたまには必要かもしれない。こんな月のことを頭に置いて百人一首などを読み返してみてもいい。
例えば、大鏡に花山天皇が陰謀によって出家させられてしまう記述がある。花山天皇は前年妃を失ってから出家に傾く気持ちはあったのだが、それに乗じて一条天皇を帝位につけるために藤原兼通、道兼親子が花山天皇を引きずりおろそうとするのである。出家の日、その明け方、天皇が宮中から出ようとしたときにも有明の月がこうこうと照っていた。
「明るいなあ」と花山天皇はつぶやくのであるが、それは表面的には、人目について秘密に行おうとしている出家に不都合だということなのだが、明らかにそこには「自分は本当に出家してしまうのか」という天皇の迷いがある。まだ19歳、亡き妃の思い出や現世への未練を断ち切ることは難しい。その迷いをこうこうと月が照らすのである。
一方、なんとか出家させてしまいたい道兼は、嘘をついたり、嘘泣きまでして天皇を出家に導こうとする。その道兼の上にもこうこうと月が照っている。6月22日のことである。季節は夏。夏の夜は短い。その明け方に照る月は彼の焦りを誘う。夜が明けてしまえば、たくらみは失敗してしまうのである。
同じ月を見ながら、両者の思いは全く別の方向を向いている・・。
例えばそんなふうに細部をとらえてみると、お経の文句のような古文が少しはおもしろくなったりしないだろうか。

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