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分類別古単no.59:宿世・前世

59■宿世・前世


 受験生のための単語リストです。
ここでは「宿世・前世」に関する語を集めてみました。
■長文になりますが、このページの末尾にエッセイ風に「宿世」に関する文章を載せであるので参考にしてください。
全体の50音索引はこちらへ

■次の語の意味をA→Bで確認!

A 単語リスト

1・ちぎり
2・さるべきにや
3・宿世たかし・宿世つたなし
4・因果応報
5・六道輪廻
6・因縁

B 語義と語感

1・ちぎり
➀前世における契り
②男女の契り
■→「契り」は「約束」であるが、古典では、①前世での約束・因縁・②男女の約束・関係が大事。

2・さるべきにや
=そうなるはずの前世からの因縁があったのだろうか
■→「そうなるはずであろうか」が直訳だが、「そうなるはずの前世からの因縁があったのだろうか」というニュアンスを持つ用法に注意したい。(→カテゴリ【「さ」の連語】を参照)

3・宿世たかし・つたなし
=現世で「果」について、その「因」を前世での因縁が「優れたもの」、あるいは「劣ったもの」とすること。

4・因果応報
=前の世の原因に応じて次の世に結果が報いとして現れること。
5・六道輪廻
=天・人・地獄・餓鬼・畜生・阿修羅という六つの世界を転生しながら命あるものは生きているという考え方。
6・因縁
=仏教で「因」は直接の原因。「縁」は間接の原因。


■例文C→Dで演習!

C 例文

  1. 前の世にも御ちぎりや深かりけん

  2. 月に二度ばかりの御ちぎりなめり

  3. これも先の世にこの国に跡をたどるべき(住み着くはずの)宿世こそありけめ

  4. かく覚えなくてめぐりおはしたるも、さるべき契りあるにやと思しながら

D 例文の解釈

  1. 前世からもご因縁が深かったのであろうか、→文法:や=係結疑問・けん=過去推量

  2. 月に二度ぐらいの御逢瀬のようである。→文法:なめり=「なんめり」の撥音便無表記

  3. これもこの国に住み着くはずの前世での因縁があったのだろう。→文法:けめ過去推量

  4. このように思いがけずめぐり会いなさったのも、そうなるはずの前世からの因縁があるのだろうかと、お思いになりながら



   

運命と宿命(宿世についての授業)

■前世と現世と来世

みなさんは、たぶん誰でも「白分が死んだらどうなるか」って考えたことがありますよね。「死んだらなくなっちゃう」と現代文明を生きているみなさんは、これもたぶん誰でも知っているわけですが、でも一方で、「悪いことをすると地獄に堕ちてしまう」なんて思ったりもし、「もし生まれ変わったとしても君を愛する」などという世迷い言を恋人たちはささやくいたりもします。霊魂や精神は死滅せずに違う時空で生き続けてどこかにつながっていく・・なんとなく、そういう意識がみなさんのべ一スのどこかにあると思います。たぶん、「死んだらなくなっちゃう」と考えることの寂しさを緩和するために、人間が考え出した知恵なんでしょうね。

僕らがそんなふうに考えるルーツは、当然ながら古代の日本人にあって、古典の世界では死んだ後にまた違う時空で存在し続けるし、また生まれる前にも既に別の時空で生きていたと考えていたました。今白分のいる世界を現世と言い、生まれる前の世界は前世、死んだ後の世界を後世、あるいは来世と呼びますが、自分という存在はこの世限りのものではなく、メンメンとつながっていくひとつの命だったわけです。昔が幸せだったとは決して思わないのですが、科学的でないから、逆に精神生活は豊かだったと言えるのかもしれません。

今日は「宿世の考え方」を知って欲しいのですが、その時大切なのが、この三つの世界はそれぞれが因果というものでつながっているということです。前世に何か原因があって、その結果が現世で現れる。同じように、現世で作られた原因によって、来世の結果が導かれる。この考え方を因果応報と言います。因(原因)に応じて、その果(結果)が報いとなって現れるという意味です。何となく解りますね。
何となく解ることをくどくど言うわけですが、わかりにくくしないために単純にふたつのベクトルを考えましょう。僕もみなさんも、古代人も、生きているのは現世ですから、矢印の出発点、つまり何かを考える発想の基準は、当然現世になります。現世から、一方では前世を、もう一方では来世を眺めることになるわけです。

■現世から来世

まず、現世から来世へ向く矢印について考えてみようと思いますが、これは解りやすいですね。さっきもいったように、僕らも死後の世界について考えることがよくあるからです。ちょっと次の世の自分をイメージしてみましょう。
みなさんは、もし生まれ変わるとしたら男がいいですか。それとも女がいいですか。僕は男だから、女もいいなって思ってしまいます。えっ、変態じゃないですよ僕は。でも、女性も何だかいろいろ面倒くさそうなので考えてしまいます。楽な方がいいですよね。男と女はどっちが楽なんでしょうね。気分によって、ある日は男になったり、ある日は女になったりできる魔法を使えるっていうのもいいかもしれません。ドラエもんが友達になってくれたら何でもいい!?そう、それは正解ですね。でも、来世のイメージとして、男か女かなんて考えているあなたはまだまだ認識が甘くて、ひょっとしたらあなたは、人間ではなくカエルやカバになって生まれてくるかもしれません。ちょっと隣に座っている友達の顔を見てください。次の世では何に生まれてきそうですか。何となく動物の顔がだぶって見えませんか。そこで聞いている振りをしてサボっているあなたの来世は、きっとナマケモノに違いありません。

人や動物になって生まれ変わるほかにも、みなさんは次の世のイメージを持っていますね。死んだらどこに行くか。そう、天国や地獄。あなたは天国に行けそうですか。僕の授業で寝ている人は、まず地獄に堕ちるでしょうね。覚悟しておいた方がいいと思います。
人間の「不幸に対する想像力」は素晴らしいものがあって、天国のイメージは割と貧弱なのに対して、地獄のイメージは実に精綴で豊かです。みなさんも血の池とか、鬼のふるうムチとか、煮えたぎった鉄の釜とか知っていると思います。時間がないのでひとつだけ僕の好きな地獄を紹介しておくと、これは女性に悪いことをした男が堕ちる地獄です。
一本の樹があって、ふと見上げると、樹の上に女がいてそこから男を誘っています。「兄さん、こっちへいらっしゃいよ」ってわけです。バカな男はその樹を上っていきますが、その樹は針や剣で出来ていて、男は上りながら、皮を切られ肉を裂かれ、血まみれのボロボロになって上にたどり着きます。しかし、上りきって女に手をかけようとすると、その瞬問に女は消え、今度は下にいて、上を見ています。「あらお兄さん、私を抱かないの」って男に声をかけるんです。男はバカですね。また、切り刻まれながら、女を求めて樹を下りていく。もう解りますね。下に行くと女は上に、上まで行くと女は下に・・それを延々繰り返すわけです。ちょっと楽しくありませんか。切り刻まれて、生きていられるのかって疑問に思うかもしれませんが、地獄っていうのは不思議なところで、ふーっとなま暖かい風が吹き抜けると、どんなに傷つけられた人間ももとに戻れるんです。また一から苦しみが味わえるんですね。どうですか、やってみたいでしょ。
まだまだ人間の不幸についてのイメージについて深く知りたい方は、源信の『往生要集』をお読み下さい。この秋、僕からのお勧めの一冊です。

さて、遠回りしてしまいましたが、こんなふうに次の世には、いろいろなバリエーションがあるわけです。人間の世界を人道、いわゆる天上の世界は天道、動物となって生まれ変わる世界は畜生道、地獄は地獄道と、それぞれの世界を呼びます。みなさんには馴染みが薄いかもしれませんが、もう二つ、阿修羅道餓鬼道というのもあります。
阿修羅道は阿修羅の世界です。阿修羅像を見たことがありますか。三つの顔と、六本の手、六本の足を持っています。三つの顔はそれぞれ三方を向いていますが、これはどこから敵が襲いかかってきても対応できるようにするためです。六本の手にはみんな武器を持っているんですよ。誰にも心を許せず常に闘っている世界ですね。
もう一つの餓鬼道は飢えと乾きにさいなまれる世界です。絵巻なんかにこの餓鬼の姿が描かれていますが、やせこけておなかだけが異様に出ています。昔は高い下駄を履いて道ばたで用を足すんですが、便をしようとかがんでいる人の後ろにぴったり張り付いて、排泄物が出てくるのを待ちかまえて、それを取って食べようとするんです。それほど飢えている。でも手に取ると食べ物はみんな燃えちゃう。飢えと乾きにさいなまれる。そういう世界です。

こんな世界、いま六つの世界を挙げたわけですが、人間はこの六つの世界を、生き死にを繰り返しながら次々と生まれ変わっていきます。これが輪廻転生の考え方です。六つの道があるので、これを六道輪廻と言います。どの世界に進むことになるかは、因果応報ですから、現世での行いによって左右されるわけです。うかうかしていられませんね。いろいろ知ってみると、「賛沢は言わない。貧乏でもいいから人間の世の中に生まれ変わりたい」って思いませんか。そう思ったら、宿題をやらずに友達のを写して出すようなマネはしない方がいいですね。そんなことをしていると、来世では餓鬼になって、人のウンチを食べていることになるかもしれません。いま苦しいんだから、次の世では幸せになりたいですよね。

その思いは昔の人も変わりません。極楽浄土に往生したい、そう考えるわけです。ただ、勘違いしてはいけないのは、よく耳にするこの極楽浄土は、さっき出てきた天道とは別のものであるということです。天道は、それはそれで他の世界と比較すれば素晴らしい世界ではあります。しかし完璧ではありませんし、輪廻の鎖の輪の中にありますから、次の世ではどうなるかも分かりません。極楽浄土はこの輪廻をはずれたところにある楽園です。だから、輪廻の鎖から逃れ、真の極楽浄土に往生することが、昔の人の究極の目標だったわけです。
古文を読むと、貴族たちが仏道修行をしたり出家したりという場面にたびたび出合うと思いますが、それはこういう事情によるものです。みなさんは出家というと、冷水をかぶったり山にこもったり、厳しい修行を思い浮かべるかもしれませんが、多くは在俗出家と言って、基本的な生活は今までと変えずに仏道に励むことが多かったようです。人生で為すべきことを全てやり終えて、人生最後の仕事として出家する。言ってみれば、貴族の習慣みたいなものだったと言っていいかもしれません。自分の人生を出家によって完成させるわけです。

■「現世」から「前世」

さて、それでは今度は現世から前世を眺めてみましょう。こちらの方は、みなさんから見るとやや馴染みの薄いものかもしれません。次の世のことは考えますが、前の世のことはあまり意識しませんね。それでも、「おまえの前世は蛇だったんじゃないか」なんて、あんまりしつこく彼氏に食い下がって言われたことはありませんか。えっ?ひどい・・。そうですね。セクハラなんて訴えられるても困るので、撤回します。
じゃあ、こんなことばを聞いたことがありますか。「袖触れ合うもタショウの縁」。タショウって漢字で書けますか。これを漢字のテストで出すと、みんな多い少ないの「多少」って書いちゃうんですが、高校生にそんな漢字をテストで書かせるはずがないんですよ。これは他で生きると書いて他生。もっと正確には多くの世を生まれ変わりながらめぐっているということで多生と書きます。今あなたと私がこうして袖が触れ合った、この些細な縁も実は前世からの因縁によるものなのですよ、ということです。
因果応報ですから、前世にあったことの結果の上に、現世があるわけです。みなさんも、かなり変な人もいますが一応人間として生まれてきていますから、前世はまあまあだったんでしょうね。タショウ、イメージがつかめましたか。・・実は今のギャグのつもりだったんですが、誰も笑ってくれませんね。オヤジが生きるって実はつらくて寂しい作業なん「ダジョウ」・・。

これ以上言うと授業をボイコットされそうなので先へ進みますが、そんなふうに前世を意識するわけです。現世で起こることは前世によって既に定められているわけですね。そういう意識、考え方、これが宿世の考え方です。やっと本題にたどり着きましたね。
宿世は意味的には前世そのものでもあるんですが、前世からの因縁と承知してください。因縁って分かりますか。「因」は直接の原因「縁」は間接の原因、仏教では全てのことはこの「因・縁」からなるのだそうですが、いま簡単に原因のことだと考えておきましょう。現世で何かが起こったとき、その原因を前世に見て、それを【宿世】として了解するわけです。
例えば『源氏物語』で光源氏が誕生したところでは、「前の世にも御契りや深かりけむ」と書かれていますが、光源氏のような素晴らしい美貌の皇子が誕生したことを、「前世からの御因縁が深かったのだろうか」と、前世にその因を求めるかたちで意識するんです。不幸なときは宿世つたなしとか宿世とほしなどと言い、素晴らしい幸運に出合ったときには宿世たかしなどと言ったりします。

ただ、当然のことですが四六時中これを意識しているわけではありません。どんな時にこの【宿世】を強く意識するかというと、やはり、結婚や、いま例に挙げた出産、あるいは大きな事件など、人生を左右するような大事の時ですね。それから、いいことでも悪いことでも、何か起こったとき、それが自分の理解の範囲を越えている、なぜそういうことが起こるか自分では処理できない、そういう時に強く意識します。そういう時に、それを「ああ、これが白分の宿世だったんだ」と考えることで納得するわけです。理解不能なことを「これは【宿世】である」と自分に納得させる説明の手段と言っていいかもしれませんね。
僕らにはそういう考え方が、誰かさんの脳ミソのように、とても薄くなっているので、平安の古文を読むときには、ぜひ注意して読んでみてください。

解りにくければ、こんなふうに考えてみてください。非常に似た意識の仕方を僕らもしていて、みなさんは思いもかけずとても素敵な異性と出会って、この上もない幸福感に包まれたとき、それを「○○的な出会い」なんて言ったりするんです。「僕と君とは赤い糸で結ばれている」なんて言われて、コロッと編されないようにしてくださいね。口の上手い男は信用しない方がいいんですよ。僕みたいに口べたな方がいいんです。対象外だって?既に男としての◆(資格)がない?減るもんじゃないからオジサンにも愛をくれてもいいと思うんですが・・。授業を進めろ?そうですね。

○○に入るのは、そう、ジャジャジャジャーン=【運命】です。説明できないことを【運命】といって納得するんですよね。立て続けに不幸が続いたりした時も、そういう考え方をします。先生に叱られ、赤点を取り、彼氏にフラレ、みんなの目の前で転び顔面から血を流す・・どうして私はこんなに不幸なの?これは私の【運命】じゃないかって。まあ、赤点を取るのは勉強不足っていう理由がはっきりしていますから、【運命】の範疇ではないと思うんですが、どうしようもないとき、どうにも解らないとき、何か超越した力に自分がもてあそばれているように感じる・・それが【運命】ですね。

宿世】の力もそういう力です。別のことばで言えば【宿命】。そう言った方が解りやすいかもしれませんね。【運命】も【宿命】も、「自分の意志や理解を超えた力」に支配されていることです。
勝手に思うだけですが、【運命】の「運」は「めぐる」という意味ですから、大きな「天体の巡り」「自然の巡り」を連想してみてください。「自然、大宇宙の摂理」・・解りやすいことばで言うと、天によって定められているという認識でしょうか。みなさんは【運命】を言うとき、【神】を意識しているかもしれませんね。
一方の【宿命】はさっきから言っているように【前世】によって定められているという認識でしょう。「宿」は「やどる」ですが、そこから「長く・前々からの」などという意味が生まれてきます。永遠のライバルを「宿敵」と言ったりしますね。宿願はかねてからの願い、宿怨は長年の怨みです。ちなみに宿題は、歌会などで事前に示される歌の題のことを言います。そんなものなくって良かったのに?そうかもしれませんね。ついでに、宿酔って何のことだか解りますか。二日酔いのことですよ。

しらたまの歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

って、牧水が歌ってますが、秋はお酒が美味しいんですよ。今夜、僕はお酒を飲むので、みなさんは「宿題」を頑張ってやって下さいね。

嫌?寝る?・・ひとこと言っておきますが、最近、頑張るな!っていうのが流行なんですけど、やっぱり頑張ることは大事なんですよ。現代の日本人が忘れてしまった日本人の尊い美質ですね。
ただね、頑張って頑張って、それでも自分の力でどうにもならなくなったときは、「運命だよ」「宿命だよ」と思って、諦めちゃえばいいんです。身をまかせる。「あ~あ、川の流れのように」とか「Let it be」とか「ケセラセラ」とかね。それは【天】が用意してくれた大事な「逃げ道」なんですから、使わなきゃ損ですよ。
でも、都合のいいところだけ利用しないでください。「先生が怠けていいって言った」なんてみなさんはすぐに言ってのけますから。そんなのが校長先生の耳に入ったら給料が下がっちゃいますからね。もう一度言いますよ。頑張ることは大事なん・・

キンコーンカンコーンキンコーン・…

ベルが鳴りましたね。みなさん起きて下さい。さあヨダレふいて! ハイ、終わります。



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