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会社を休んでショパンを弾く1〜「だから女には無理なんだ」と言われないために必死に働いた、その先で〜 #もぐまぐ

もぐら会のメンバーが綴るエッセイを連載していく、もぐら会マガジン、通称「もぐまぐ」を始めます。第一号となる連載は、渕上佳代子(ふちがみかよこ)さんによる「会社を休んでショパンを弾く」です。「だから女には無理なんだ」と言われないために必死に働いていた佳代子さんが、40歳になって突如ピアノのレッスンに通い始めた背景にあったものとは……。
先日公開され反響を呼んだ下記インタビューとあわせてお読みください。
【もぐら本2 試し読み】社会に出てから自分がやったことの中で一番素晴らしかったことが、休職なんですね


発表会でショパンを弾く

2021年1月某日。ひんやりとした朝の空気を肌に感じながら駅へと向かう。「何で発表会に出るなんて言ったんだろう。」不安と緊張で今にも押しつぶされそうだ。「途中で全部飛んでしまったらどうしよう、いや何度も練習したから大丈夫。」頭の中では不安と大丈夫が無限ループしている。

曲目は「ショパン作曲ノクターン変ホ長調Op.9-2」。長年憧れていた大好きな曲で、発表会に向けて何度も練習を重ねてきた。ピアノを始めて今年で2年目、2回目の発表会だ。

会場に到着すると楽屋へ向かった。モニターが設置されており舞台上の様子が流れている。数十分後には私があの場所で弾くのだ。緊張しながら出番を待つ。

「続いての演奏者は、かよこさんです」

ついに私の番が来た。名前を呼ばれて、控えていた舞台袖から、舞台中央へ歩いていく。お辞儀をして椅子を調整してから、ピアノの前に座る。呼吸を整えて、心を落ち着けて、大丈夫できると言い聞かせる。

鍵盤に指をのせると手が震えているのが分かる。出だしは間違えずにできた。冷静に、弾き急がないように気を付けて…。大きなミスのないまま演奏は終盤へと向かう。曲のクライマックスだ。勢いよくフォルテッシモで弾く。ああ!!間違えてしまった。ここまではうまくできていたのに、くそう!!!

「お疲れ様!上手く弾けたね!」演奏が終わると先生が声を掛けてくれた。先生はどんな時でも褒めてくれる。本番で間違えたのは練習でもよく間違えるところだった。1,000回演奏して999回ノーミスで弾けるくらいにならないと発表会で流暢に弾けるようにはならない。来年はもっともっと練習してうまくなりたい!!からだ全体を高揚感が包み込んでいた。終わった。早く猫の待つ家に帰ろう。

ずっとピアノを弾きたかった

私がピアノを始めたのは40歳の時だ。本当はこどもの頃から、ずっとピアノを習いたかった。クラスに数人はいるピアノを習っている友達が、いつもとても羨ましかった。母は私がピアノを習うことを許さなかったが、友達の家や学校の体育館、音楽室などで見よう見まねで弾いていた。

やがて大人になると自然とピアノに触れる事はなくなり、世の中の多くの人と同じように仕事や色々なことに忙殺されながら日々を生きていた。ピアノを習うことなんてすっかり忘れていた。ところが心機一転、挑戦しようと思ったのは「アラフォーだし今さら…。」という弱気な気持ちが吹き飛んでしまうような状況に陥ってしまったからだった。

ピアノを始めるまで

今から2年前、私は、超氷河期に何とか内定をもらった金融機関で約20年働き続け、気づけばアラフォーになっていた。当時は女性活躍推進法が成立し、多くの会社が女性管理者の割合を引き上げる動きを加速させていた。そんな中で私も昇格することができたのだが、慣れない仕事で成果を出さなければというプレッシャーや、女性だからという理由で舐められたくないという気持ちが強く、この頃からどんどん仕事に邁進することになる。弱音を吐くことなんてできない。「だから女には無理なんだ」と言われてしまうから。絶対に成果を残して認めさせたい、そんな考えで頭の中がいっぱいだった。今思えば完全にキャパオーバーの仕事を抱え込んで「負けるもんか」と歯を食いしばりながら、まるで止まったら死ぬかのごとく必死だった。「今を乗り越えればきっと変わるんだ、ここが正念場だから。」周囲の人達にも私に余裕がないことはきっとバレバレだっただろうに、できる女と思われたくて必至の形相で仕事をする私。さぞかし恐ろしかったことだろう。

当時は営業の仕事をしていたため、出張や会食が多く生活が不規則だった。朝5時台に家を出て飛行機や新幹線で移動をして取引先と商談をし、その後会食へと流れ、出張先のホテルに帰るのが夜中の2時過ぎ。次の日も朝早くホテルを出て飛行機や新幹線で移動、別の取引先と商談をして、自宅に着くのは夜11時~12時。そういうことが多々あった。

生活が仕事で埋め尽くされていくにつれ、仕事以外の身の回りのことをこなす余裕がなくなっていった。仕事を終えて家に帰ると、自分でも驚くくらい動けなくなってしまう。日々の生活のこと(部屋の掃除、宅急便の不在伝票の処理等)なんかをする気力が全くなくなってしまい、次第に部屋がゴミや服などで足の踏み場のない状態となってしまった。疲れて体力がなくなるだけではなく、何かをする気力が全くなくなってしまうのだ。

また、ストレスから過食となってしまい、毎日のようにコンビニやデパ地下で調達した大量の食料を食べて、体重が20㎏も増えてしまった。お腹がすいたから食べるという感覚ではなく、とにかく食べないと気持ちが落ち着かなくて食べるのが止まらないという感じ。宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』の冒頭で、千尋の両親が食堂においてあった食べ物を、千尋が止めるのも聞かずにむさぼるように食べ続けてやがて豚になってしまうシーンがあるけど、あれに似ていると思う。あのシーンを初めて見た時に、なぜかすごく嫌悪を感じたのだけど、卑しく食べ物にがっついている千尋の両親の姿に自分の醜くい部分を感じ取っていたのかもしれない。その20年後にまさにあれとそっくりのことが自分自身に起こるのだから。

鏡に映るまるまると太ったおばさん、まぎれもなく私だ。現実だと思いたくない。自分の姿を見る度にとても悲しい気持ちになった。こんな生活を何とかしなくてはと、せめて部屋の片付けだけでもしようと思うのだが、どうしても気力が湧いてこない。必要な服を買いたくても、おでんのはんぺんみたいに膨れた体を受け入れてくれる服を探すのはとても困難で、昔は楽しかったショッピングが全く楽しくなくなってしまった。リニアモーターカー並の速度で体重が増えてしまったので、下着やストッキングなども含めて洋服を全て買い替えたのだが、洋服関係のお金だけでうん十万円とかかった月もあった。

汚部屋に住み、ぶくぶくと太り、坂を転げ落ちるように乱れていく生活。どうにかして抜け出したいのに、どうしたらいいのか分からなかった。もともと太りやすい体質だったため、数年前までは週に2~3回ヨガに通って体形を維持に努めていた。それなのに20㎏も太るなんて。まさに悪夢としか言いようがない。

今みたいな生活を続けていたら私はどうなってしまうのか。重い体をベッドに横たえながら考えた。入社した当初から金融機関で働くなんて嫌々だったのに、気づけば物理的にも精神的にも仕事で雁字搦めになってしまっていた。無理やりにでも好きなことや、息抜きができることをして、少しでも仕事を忘れる時間をつくりたい…。

「何をしたらいいのだろう。私の好きなことって何だっけ…?」
必死に考えた。
「良く分からないけど、子供のころは音楽の成績が良かったかな。何か楽器を始めてみようかな。」
ネットで検索すると色々出てきた。ギター、ボーカル、ドラム…。
「ドラムも習えるのか。かっこいいな。」

スマホで楽器について調べている時、突然頭に思い浮かんだ。
「そうだ、私、ずっとピアノを習いたかった。」
ピアノは習得に時間がかかるもの、子供の頃からやっていないと弾けるようにならないもの、無意識のうちにそう考えていた。でも今の私に一番必要なのは、心が躍るような楽しいことを探して疲れた心と体元気にすること、自分自身を取り戻すこと。だったら心からやりたいと思うことをやるべきなのではないか。迷いはなかった。

こうして私はピアノの体験レッスンを申し込んだ。

〜続く〜

■著者プロフィール
渕上佳代子(ふちがみかよこ)
氷河期世代のアラフォーOL。40歳で始めたピアノのこと、会社を休職したことなどをまったり綴ります。

渕上佳代子さんのもうひとつの物語は下記からどうぞ。
【もぐら本2 試し読み】社会に出てから自分がやったことの中で一番素晴らしかったことが、休職なんですね

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【もぐら会の本】もぐらの鉱物採集2 インターネットの外側で拾いあつめた言葉たち 二〇〇〇ー二〇二〇

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