見出し画像

いかにして私はコピーライターを挫折したか。 第9話 混乱編

いや~、今年の宣伝会議賞もなんか望みが薄いな。
アイデアを出すスピードに何か革命的なことでも起こらない限りは毎回同じような感じになりそう。
それはそれとしてついに9話まで来ました。二桁目前。10話までいったら記念に抽選で10名様に10万円企画をやりません。


「実は今度辞めることになってね」
「ええええ」
唐突な春田さんからの通達。青木さんの下についたと思ったら1年未満で退職され、そのあとで春田さんの下についてから、たしか1年そこそこくらいだったと思う。なんで上の人がどんどん抜けていくんだこの会社は。

春田さんはいろいろとやりたいことが多すぎるらしく、今後はフリーランスでやるとのこと。それはそれでいいとして、まだ入って2年経つか経たないかで強制的に独り立ちですかい?それなりに担当している仕事は増えつつあったものの、ちょっと違うタイプの仕事がきたらすぐあたふたしていたので不安は大きかった。
これまで春田さんと組んでいたアートディレクターの酒村(仮名)さんがサポートするからがんばれ、みたいなことになったのだが、この時内心ではさらに「ええええ」と思っていた。何せこの酒村さん、クオリティに厳しいのである。
視野が広く、勉強になることも多いのだが、とにかくクオリティに厳しいのである。例を挙げると、入って間もないころ酒村さんの下についていた若手デザイナーが度重なるやり直しを食らい、深夜になって「これの提出明日の朝なんですよ」と泣きを入れたところ、「ならまだ8時間はある」と言われて膝から崩れ落ちていたのを見たことがある。
(あの感じでやり直し食らってたら身がもたないぞ…)と、戦々恐々。ついでにいうとその時のデザイナーの人はまあまあ早く辞めた

上記の例に限らず、クオリティに厳しい人が多いのがこの会社の特徴だった。それゆえに大手広告代理店からの依頼も多かったのだが、求められる仕事としては当然大変なわけで、特にデザイナーは入っては辞め、入っては辞めという感じでなかなか新人が定着しなかった。コピーに関しては代理店の中でコピーライターをやっている人がディレクターを務めることが多かった関係で、最終的にそっちで書く、というパターンになるので内部での鬼のようなやり直しはあまりなかった。

と言いながら当時はそこまで俯瞰して見られていたわけではなく、単純に「何とか辞めずに残っている」ことが妙なサバイバル感を醸し出し、変にプライドを刺激していた状態だった。実際別に急激に伸びたわけでもなんでもなく、コピーに対しての要求がそこまで厳しくなかったので耐えられていただけなのだが。

WEB方面の仕事も増えてきて、社長の親戚である広須(仮名)君という元デザイナーがエンジニアとして入ってきて対応していた。社長の親戚と聞いたのでてっきり後継ぎかなんかでボンボン的な立ち位置かと思っていたら全然そんなことはなく、むしろ激務中の激務をこなしていた。なにせ深夜に帰るときに社内にいて、朝来たらまたいるのである。どんだけ仕事してんだよ、と思ったら単純に会社に宿泊していることが発覚した。いやどちらにしろどんだけ仕事してんだよ。

そんなこんなで社内が慌ただしくなりまくり、自分も指導役がいない状態でやっていけるのか?と不安を抱えていたが、気が付くと凄まじい仕事の濁流に飲み込まれていたのだった。

次回、混沌編に続く。


サポートいただけた場合、新しい刺激を得るため、様々なインプットに使用させていただきます。その後アウトプットに活かします、たぶん。